も泣くなよ。自慢ぢやあないが、大岡樣とこの家主が附いてゐるのだ。決して惡いやうにはならないよ。
おかん (不安らしく。)それもやつぱり大屋さんの嘘ぢやあありませんかえ。
六郎 おれだつて無暗に嘘をつくものか。安心しろよ。
おかん 若しもこれぎりで内の人が歸つて來なかつたら、屹とおまへさんを恨むからさう思つておいでなさいよ。(泣く。)
彦三郎 (氣の毒さうに。)どうも皆さんに御迷惑をかけまして、なんとも申譯もないことでござります。(六郎兵衞に。)では、お繩をおかけ下さりませ。(兩手をうしろへ廻す。)
六郎 おまへさんはわたしが縛る。(雲哲等に。)おまへ達は權三と助十を縛つてやれ。
雲哲 あい、あい。長屋中の持て餘し者がどつちもたうとう繩附きか。
願哲 これだから惡いことは出來ないな。
權三 なにを云やあがる。手前たちの知つたことぢやあねえ。
助十 あとでびつくりしやあがるな。さあ、どうとも勝手にしやあがれ。
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(權三も助十も覺悟して縛られようとする。)
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六郎 これ、ちつとぐらゐ痛くつても構はない、遠慮なしにぐる[#「ぐる」に傍点]/\卷きにふん[#「ふん」に傍点]縛れよ。
雲哲 大屋さんからお許しが出たのだ。せいぜい嚴重に縛つてやれ。
願哲 はゝ、面白い、面白い。
おかん なにが面白いものか。ほんたうに好い面の皮だ。
助八 こいつ等、面白半分に騷ぎ立てやあがると、おれが料簡しねえぞ。
六郎 はて、喧嘩をしてはならない。靜かにしろ、靜かにしろ。
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(雲哲と願哲は笑ひながら二人を縛りあげる。六郎兵衞も彦三郎を縛る。)
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六郎 ところで、そつちの二人は兎《と》も角《かく》も、この人を數寄屋橋内《すきやばしうち》まで引摺つて行くのは可哀さうだ。(土間をみかへる。)おゝ、丁度そこに駕籠がある、と云って、權三と助十は繩附きで擔がせるわけにも行かず、これ、助八。だれか相棒をさがして擔いで行け。
助八 え、おれにかつがせるのかえ。
六郎 あたりまへよ。貴樣の商賣ではないか。
助八 商賣は商賣だが、こいつは氣のねえ仕事だな。どうで酒手《さかて》は出やあしめえ。
六郎 ぐづ/\云はずに、早く相棒を見つけて來いよ。おゝ、誰彼といふよりも、雲哲、おまへが片棒かついでやれ。
雲哲 大屋さんのお指圖だが、これは難儀だ。おれも弔《とむら》ひの差荷《さしにな》ひはかついだが、生きた人間を乘せたのはまだ一度も擔いだことがないので……。
助八 まあ、仕方がねえ、おれが先棒になつて遣るから、あとからそろ/\附いて來い。さあ、手をかせ。
雲哲 やれ、やれ。兎かく長屋に事なかれだ。
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(助八と雲哲は土間から駕籠を持ち出してくる。)
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彦三郎 いえ、それではあんまり恐れ入ります。
六郎 なに、遠慮はないから乘つておいでなさい。
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(六郎兵衞は彦三郎の手を取りて駕籠にのせる。助八と雲哲は身支度をする。おかんは奧に入る。上のかたより猿まはし與助がうろ/\出づ。)
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與助 大屋さん。井戸がへは何うしますね。
六郎 急に大事の用が出來て、おれは御番所《ごばんしよ》へ出なければならないから、井戸がへの方はまあ宜しく遣つてくれ。おゝ、さうだ。おまへにも用がある。願哲は權三の繩取りをして、おまへは助十の繩を取つて行け。
與助 (おどろいて。)え、どこへまゐります。
六郎 南の御奉行所へ行くのだ。
與助 え。(ふるへる。)
六郎 なにも怖がることはない。おれが一緒に附いて行くのだから安心しろ。
與助 はい、はい。
六郎 併し猿を背負つてゐては少し困るな。だれかに預けて行け。
與助 いえ、この猿めは迚《とて》もわたくしの傍を離れませんから、一緒に連れて行かして下さい。
六郎 では、まあ勝手にするがいゝや。(一同に。)さあ、めいめいの役割がきまつたら、日の暮れないうちに出かけようぜ。
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(願哲は權三の繩を取り、與助は助十の繩を取りて引立てる。助八と雲哲は駕籠を舁《か》き上げようとして、雲哲はよろける。)
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助八 おい、おい、しつかりしろよ。
雲哲 おれは素人《しらうと》だ。仕方がない。
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