いと思っていた。したがって、その黒髪や書きものが果して寺へ送られたか、あるいは焚火の灰となったか、その後の処分について別に聞いたこともなかった。
 さて、これだけのことならば、単にこんな事があったという昔話に過ぎないのだが、まだその後談があるので、文明開化の僕もいささか考えさせられることになったのだ。
 梶井はあまり健康な体質ではないので、学校もとかく休みがちで、僕よりも一年おくれて卒業した。それから医者になるつもりで湯島の済生学舎にはいった。そのころの済生学舎は実に盛んなもので、あの学校を卒業して今日《こんにち》開業している医者は全国で幾万にのぼるとかいうことだが、あのなかには放蕩者も随分いて、よし原で心中する若い男には済生学舎の学生という名をしばしば見た。梶井もその一人で、かれは二十二の秋、吉原のある貸座敷で娼妓とモルヒネ心中を遂げてしまった。ひとり息子で、両親も可愛がっていたし、金に困るようなこともなし、なぜ心中などを企てたのか、それがわからない。しいていえば、病身を悲観したのか。あるいは女の方から誘われたのか。まずそんな解釈をくだすよりほかはなかった。
 僕が梶井の家《うち》へ
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