しく乗込んで来たのだが、なにしろ相当の旗本の屋敷だから、僕らの家とは違ってすこぶる立派なものであった。もちろん屋敷そのものは、ずいぶん古い建物で、さんざんに住み荒らしてあるらしかったが、屋敷の門内はなかなか広く、庭や玄関前や裏手の空地などをあわせると、どうしても千坪以上はあるという話であった。
 前にもいう通り、屋敷はさんざん住み荒らしてあるので、梶井の家ではその手入れに随分の金がかかったとかいうことであったが、家の手入れが済んでから更に庭の手入れに取りかかった。その頃は僕も子供あがりで、詳しいことは知らなかったが、梶井の父というのは何かの山仕事が当って、今のことばで言えば一種の成金になったらしく、毎日大勢の職人を入れて景気よく仕事をさせていた。すると、ある日曜日の午後だ。梶井があわただしく僕の家へ駈け込んで来て、不思議なことがあるから見に来いというのだ。
 十一月のはじめで、小春日和《こはるびより》というのだろう。朝から大空は青々と晴れて滝野川や浅草は定めて人が出たろうと思われるうららかな日であった。梶井が息を切って呼びに来たので、僕は縁側へ出て訊いた。
「不思議なこと……。どうしたんだ。」
「稲荷さまの縁の下から大きな蛇が出たんだ。」
 僕は思わず笑い出した。梶井は今まで下町《したまち》に住んでいたので、蛇などをみて珍しそうに騒ぐのだろうが、ここらの草深いところで育った僕たちは蛇や蛙を自分の友達と思っているくらいだ。なんだ、つまらないといったような僕の顔をみて、梶井はさらに説明した。
「君も知っているだろう。僕の庭の隅に、大きい欅《けやき》が二本立っていて、その周りにはいろいろの雑木《ぞうき》が藪のように生い茂っている。その欅の下に小さい稲荷の社《やしろ》がある。」
「むむ、知っている。よほど古い。もう半分ほど毀れかかっている社だろう。あの縁の下から蛇が出たのか。」
「三尺ぐらいの灰色のような蛇だ。」
「三尺ぐらい……。小さいじゃないか。」と、僕はまた笑った。「ここらには一間ぐらいのがたくさんいるよ。」
「いや、蛇ばかりじゃないんだ。まあ、早く来て見たまえ。」
 梶井がしきりに催促するので、僕も何事かと思ってついて行くと、広い庭には草が荒れて、雑木や灌木《かんぼく》がまったく藪のように生い茂っている。その庭の隅の大きい欅の下に十人あまりの植木屋があつまって、何かわやわや[#「わやわや」に傍点]騒いでいた。梶井の父も庭下駄をはいて立っていた。
 この社は、前の持主《もちぬし》の時代からここに祭られてあったのだが、もう大変にいたんでいるのと、新しい持主は稲荷さまなどというものに対してちっとも尊敬心を抱いていないのとで、庭の手入れをするついでに取毀すことになった。いや、別に取毀すというほどの手間はかからない。大の男が両手をかけて一つ押せば、たちまち崩れてしまいそうな、古い小さな社であった。それでも職人が三、四人あつまって、いよいよその社を取毀すことになった時、ふと気がついてみると、その社の前の低い鳥居には「十三夜稲荷」としるした額《がく》がかけてある。稲荷さまにもいろいろあるが、十三夜稲荷というのは珍しい。それを聞いて、梶井は父と母と一緒に行ってみると、古びた額の文字は確かに十三夜稲荷と読まれた。
 妙な稲荷だと梶井の父も言った。一体どんなものが祭ってあるかと、念のために社のなかを検《あらた》めさせると、小さい白木の箱が出た。箱には錠がおろしてあって、それがもう錆《さび》ついているのを叩きこわしてみると、箱の底には一封の書き物と女の黒髪とが秘めてあった。その書き物の文字はいちいち正確には記憶していないが、大体こんなことが書いてあったのだ。
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当家の妾たまと申す者、家来と不義のこと露顕いたし候|間《あいだ》、後《のち》の月見の夜、両人ともに成敗《せいばい》を加え候ところ、女の亡魂さまざまの祟りをなすに付、その黒髪をここにまつりおき候事。
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 昔の旗本屋敷などには往々こんな事があったそうだが、その亡魂が祟りをなして、ともかくも一社の神として祭られているのは少ないようだ。そう判ってみると、職人たちも少し気味が悪くなった。しかし梶井の父というのはいわゆる文明開化の人であったから、ただ一笑に付したばかりで、その書き物も黒髪もそこらに燃えている焚火のなかへ投げ込ませようとしたのを、細君は女だけにまず遮《さえぎ》った。それから社を取りくずすと、縁の下には一匹の灰色の蛇がわだかまっていて、人々はあれあれといううちに、たちまち藪のなかへ姿をかくしてしまった。
 蛇はそれぎり行くえ不明になったが、かの書きものと黒髪は残っている。梶井の母はそれを自分の寺へ送って、回向《えこう》をした上で墓地の隅に葬っても
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