べつ》として心ばかりの金を贈る。ただそれだけのことで遣り取りが済んだのであるが、明治の初年にはこんな空屋敷を買う者もない。借りる者も少ないので、新しい持主もほとんど持てあましの形で幾年間を打捨てて置いた。
こういう事情で建ちぐされのままになっていた空屋敷を、わたしの父がやすく買取って、それに幾らかの手入れをして住んでいたのであるから、今から考えるとあまり居ごころのよい家ではなかったらしい。第一に屋敷がだだっ広い上に、建物が甚だ古いと来ているから、なんとなく陰気で薄っ暗い。庭も広過ぎて、とても掃除や草取りが満足には出来そうもないというので、庭の中程に低い四目垣《よつめがき》を結って、その垣の内だけを庭らしくして、垣の外はすべて荒地にして置いたので、夏から秋にかけてはすすきや雑草が一面に生い茂っている。万事がこのていであるから、その荒涼たる光景は察するに余りありともいうべきであるが、その当時は東京市中にもこんな化物屋敷のような家がたくさんに見いだされたので、世間の人も居住者自身も格別に怪しみもしなかったらしい。
わたしの家《うち》ばかりでなく、周囲の家々もまず大同小異といった形で、しか
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