。男というのは父ひとりで、ほかはみな女ばかりであるから、なにかの事があると一倍に騒ぎ立てるようにもなる。それがうるさいので、父ももう打捨てては置かれなくなった。
「おおかた野良犬でも這い込むのだろう。」
こうは言いながらも、ともかくもそれを実験するために、父はひと晩眠らずに張番《はりばん》していた。それには八月だから都合がいい。残暑の折柄、涼みがてらに起きていることにして、家内の者はいつものように寝かしつけて置いて、父ひとりが縁側の雨戸二、三枚を細目にあけて、庭いっぱいの虫の声を聞きながら、しずかに団扇《うちわ》を使っていた。まだその頃のことであるから、床《とこ》の間《ま》には昔を忘れぬ大小が掛けてある。すわといえばそれを引っさげて跳り出すというわけであった。
ことしはかなりに残暑の強い年であったが、今夜はめずらしく涼しい風が吹き渡って、更《ふ》けるに連れて浴衣一枚ではちっと涼し過ぎるほどに思われた。月はないが、空はあざやかに晴れて、無数の星が金砂子《きんすなご》のようにきらめいていた。夜ももう十二時を過ぎた頃である。庭のどこかでがさがさという音が低くひびいた。それが夜風になびく草の葉ずれでないと覚《さと》って、父は雨戸の隙き間から庭の方に眼をくばっていると、その音は一カ所でなく、二カ所にも三カ所にもきこえるらしい。
「獣だな。」と、父は思った。やはり自分の想像していた通り、のら犬のたぐいが忍び込んで何かの餌をあさるのであろうと想像された。
しかし折角こうして張番している以上、その正体を見届けなければ何の役にも立たない。そうして、その正体をたしかに説明して聞かせなければ、女どもの不安の根を絶つことは出来ない。こう思って、父はそっと雨戸を一枚あけて、草履をはいて庭に降りた。縁の下には枯れ枝や竹切れがほうり込んであるので、父は手ごろの枝を持ち出して静かにあるき始めた。庭には夜露がもう降《お》りているらしく、草履の音をぬすむには都合がよかった。
耳をすますと、がさがさという音は庭さきの空地の方から低く響いてくるらしい。前にもいう通り、ここは四目垣を境にしてただ一面の藪のようになっているので、人の丈《たけ》よりも高いすすきの葉に夜露の流れて落ちるのが暗いなかにも光ってみえる。父は四目垣のほとりまで忍んで来て、息をころして窺うと、あたかもその時、そこらの草むらがざわざ
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