わと高く騒いで、忽ちにきゃっ[#「きゃっ」に傍点]という女の悲鳴がきこえた。
女の声は少しく意外であったので、父もぎょっとした。しかしもう猶予はない。父は持っている枝をとり直して、四目垣をまわって空地へ出ると、草むらはまた激しくざわざわ揺れてそよいだ。すすきや雑草をかきわけて、声のした方角へたどって行ったが、ふだんでもめったにはいったことのない草原で、しかも夜なかのことであるから、父にも確かに見当《けんとう》はつかない。父は泳ぐような形で、高い草のあいだをくぐって行くと、俄かに足をすべらせた。露にすべったのでもなく、草の蔓《つる》に足を取られたのでもない。そこには思いも付かない穴があったのである。はっと思う間に、父はその穴のなかに転げ落ちてしまった。
落ちると、穴の底ではまたもやきゃっ[#「きゃっ」に傍点]という女の声がきこえた。父がころげ落ちたところには、人間が横たわっていたらしく、その胸か腹の上に父のからだが落ちたので、それに圧しつぶされかかった人間が思わず悲鳴をあげたのである。その人間が女であることは、その声を聞いただけで容易に判断されたが、一体どうしてこんなところに穴が掘ってあったのか、またそのなかにどうして女がひそんでいたのか、父にはなんにも判らなかった。
「あなた誰ですか。」と、父は意外の出来事におどろかされながら訊いた。
女は答えなかった。あたまの上の草むらは又もやざわざわと乱れてそよいだ。
「もし、もし、あなたはどうしてこんな所にいるんですか。」
女が生きていることは、そのからだの温か味や息づかいでも知られたが、かの女は父の問いに対してなんにも答えないのである。父はつづけて声をかけてみたが、女は息を殺して沈黙を守っているらしかった。
なにしろ暗くてはどうにもならない。ここから家内の者を呼んでも、よく寝入っている女どもの耳に届きそうもないので、父はともかくもその穴を這い出して家からあかりを持って来ようと思った。探ってみると、穴の間口《まぐち》はさほどに広くもないが、深さは一間半ほどに達しているらしく、しかも殆んど切っ立てのように掘られてあるので、それから這いあがることは頗る困難であったが、父は泥だらけになってまず無事に這い出した。そのときに草履を片足落したが、それを拾うわけにもいかないので、父は片足に土を踏んで元の縁先まで引っ返して来た。
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