顔は出来ません。下塗を乾かすために団扇《うちわ》で煽《あお》いだりしたものですが、今はそんな暢気《のんき》な事をやっていられないから、はじめから濃いやつを塗る。白粉《おしろい》の方もだんだん器用な物が出来るようですけれども、とにかく日本の芝居で幕間五分というのは、いろいろな点からいって無理なのです。正直にやれば長くなるから、臨機応変でやって行くということになります。
私の書いた『幡随院長兵衛』の芝居、あれは米斎君の方から、今度の芝居は湯殿が出ますか、という御尋ねがありましたから、出ますというと、今までの芝居でやっている湯殿は出たらめだ、あの時分の湯殿はこうこういうものだから、それで出来るように芝居を書いてくれ、ということなのです。私は実はあの頃の湯殿がどんなものだか知らないんですが、縁側みたいなものがあって手摺がついている。花活《はないけ》に花が活けてあったりして、何だか妙なものだと思ったけれども、万事先生の指図通りにやりました。この場合には限りませんが、舞台装置をなさる方にはまたそういう御道楽があって、今までやっているのは嘘だから、今度はこういう風にやる、というようなところでいい気
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