半二 さうは云つても書きおろしの時にくらべると、半分も日數が打てない。わづか十二三年の違ひだが、操りが一年ごとに廢《すた》れて來るのがあり/\と眼に見える。いつも云ふやうだが……。(床の間の畫像をみかへる)門左衞門先生が御在世の時は勿論、又そのあとを受け繼いで出雲《いづも》や松洛《しようらく》が「忠臣藏《ちゆうしんぐら》」や「菅原《すがはら》」をかいた頃は、操りは繁昌の絶頂であつた。(その當時を追想するやうに、はれやかな眼をする)大阪中の贔屓《ひいき》や盛り場から贈つて來るので、芝居の前に幟《のぼり》は林のやうに立つてゐる、積み物は山のやうに飾つてある。見物は近郷近在からも夜の明けないうちに押掛けて來る。道頓堀《だうとんぼり》の人氣はみな操りにあつまつて、歌舞伎は有れども無きが如しと云ふ有樣……。(又俄に嘆息する)それがどうだ。此頃ではまるで裏表《うらはら》になつてしまつて、歌舞伎は一年ましに繁昌して、操りは有れども無きが如くではないか。それを思へば、出雲は好いときに死んだ。松洛は長生きをして「妹脊山」をかく頃までは私の後見をしてくれたが、それも既うこの世にはゐない。いや、そんな愚癡
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