っ返したかと思うと、今度はすぐに出て来て、玉藻を内へ案内した。
千枝太郎はもとの一人になって、えんじゅの青い影の下に立っていた。彼はもう半分は夢のようで、なにを考える力もなかった。青い葉をゆする南風がそよそよと彼の袂を吹きなびかせて、鈴を振るような蝉の声がにぶい耳にもこころよく聞こえた。
しばらくして玉藻は成景に送られて出て来た。彼女の口元には豊かな笑みが浮かんでいた。成景の見る前、もうなにも言っている間《ひま》もないので、彼女はただ千枝太郎に目礼して別れた。そのうしろ影が門の外へ消えてゆくのを見送って、千枝太郎はなんだか物足らないような寂しい心持になって、糸にひかれたようにふらふらと樹の下を離れた。そうして、彼女を追うように同じく門の外へ出ると、まだ五、六間とはゆき過ぎない玉藻がけたたましく叫んだ。
「あれ、誰か来て……。助けてくだされ」
その声におどろかされて、きっと見ると、痩せさらばえた一人の老僧が片手に竹の杖を持って、片手に玉藻の袂をしかと掴んでいた。僧は物に狂っているらしい。鼠の法衣《ころも》は裂けて汚れて、片足には草履をはいて片足は跣足《はだし》であった。千枝太郎はすぐに駈け寄って二人のあいだへ割ってはいった。
「おお、千枝太郎どの。ようぞ来てくだされた。この御僧《ごそう》は物に狂うたそうな。不意にわたしを捉えてどこへか連れて行こうとする。どうぞ助けてくだされ」と、玉藻は悩める顔を袖に掩いながら言った。
「御坊《ごぼう》。いかに狂えばとて、女人《にょにん》をとらえてなんの狼藉……」と、千枝太郎は叱るように言った。「静まられい、ここ放されい」
僧はなんにも言わなかった。白い鬚《ひげ》がまだらに伸びて、頬骨の悼《いた》ましく尖った顔に、窪《くぼ》んだ眼ばかりを爛々《らんらん》とひからせて、彼は玉藻の白い襟もとをじっと見つめていた。相手が執念深いので、千枝太郎はいよいよ急《せ》いた。
「ええ、退《の》かれいというに……。ええ、放されい。放さぬか」
彼は相手の痩せた腕をつかんで、力まかせに引き放そうとしたが、命のあらんかぎりと掴んでいるらしい僧の手は容易に解けなかった。血気の若者は焦《じ》れてあせって、折れるばかりにその手を捻じ曲げて、無理にようよう引き放して、突きやると、力の尽きた老僧は枯木のようにばったり倒れた。玉藻はそれを見向きもしないで、急ぎ足に立ち去った。
僧は這い起きて又追おうとするのを、千枝太郎は又抱き止めた。僧は熱い息をふいて身をもがいているところへ、四、五人の若い僧が汗みどろになって追って来た。
「おお、ここにじゃ。どなたか知らぬが、かたじけのうござる」
彼らは千枝太郎に礼をいって、まだ哮《たけ》り狂っている老僧を宙にかつぐように連れて行った。狂える老僧は法性寺の阿闍梨《あじゃり》であった。
三
法性寺の阿闍梨がその夜、寺内の池に身を沈めて果てたということを聞いたときに、千枝太郎は又ぞっとした。高僧は玉藻の蠱惑《こわく》に魅《み》せられて、狂い死にの浅ましい終わりを遂げたのであろう。きのう信西入道の屋形で彼女に囁《ささや》かれた甘いことばも、今は悪魔の囁きのように思われて、千枝太郎はややもすれば魔道へ引き入れられそうな自分の危うい運命を恐れた。
「きのう、かの玉藻に逢うたか」と、播磨守泰親は若い弟子に訊いた。
千枝太郎は彼女に出逢ったことを正直に打ち明けると、泰親の眉はまた皺められた。
「くどうも言うようじゃが、心《こころ》せい。お身の行く末いかにも心許《こころもと》ないぞ。玉藻はきのう少納言入道の屋形へまいって、別室で入道に対面し、世におそろしいことを密々に訴えたそうじゃ。関白殿が俄に人数を召されて、宇治の左大臣と少納言入道とを一ッ時に誅伐せらるるお催しがあると申すのじゃ。入道殿ほどの御仁《ごじん》がそのような讒口《ざんこう》を真《ま》に受けらるる筈はなし、且《かつ》は日頃から疑いの眼を向けている玉藻の訴えじゃで、まずよいほどに会釈して追い返されたそうなが、こちらへ来てそれほどのことを言う奴、あちらへ参っても又どのような讒口を巧《たく》もうやら。返すがえすも怖ろしい。しょせん彼女《かれ》めはさまざまに手を換え品をかえて、人間に禍いの種をまき、果ては天下の乱れを惹《ひ》き起こそうとするにきわまった。まだそればかりでない。かれは関白殿をそそのかして、采女に召さりょうという大望を起こしたという。勿論、左大臣殿にさえぎられて、いったんは沙汰やみになったと申すが、かれのごとき魔性の者が万一、殿上に召さるるなどの事あっては、わが日の本は暗闇じゃ」
もうどうしても猶予は出来ないので、信西入道と相談の上で、自分はきょうから身を浄《きよ》めて七十日の祈祷《いのり》を行なうことにきめた。左大臣頼長ももちろん同意である。由来、かかる魔性の者はその目の前で祈り伏せて、すぐに正体を見あらわすのが秘法の極意《ごくい》ではあるが、関白殿御寵愛の女子を呼び出して、その目の前で悪魔調伏の祈祷を試みるというわけにもいかないので、七十日の間、自分の居間に降魔《ごうま》の壇を築いて、蔭ながら彼女を祈り伏せる決心である。それには自分のほかに四人の弟子がいる。お前もその一人に加える筈であるから、あっぱれ一心をぬきん出て怠りなく仕まつれと、彼は千枝太郎にこまごまと言い聞かせた。
「かしこまりました」と、千枝太郎は自分の重い責任を感じながら直ぐに承知した。
「泰親に取っては一生に一度の大事の祈祷じゃ。身命をなげうって仕まつる。お身たちも命を惜しまず、精《せい》かぎり根《こん》限り祈りつづけよ。われわれ五人のうち、一人たりとも心のゆるむものあらば、修法《しゅほう》は決して成就せぬものと思え。胸にきざんで忘るるな」
播磨守泰親は決死の覚悟でこの大事に当たろうというのである。千枝太郎のほかに、三人のすぐれた弟子も交るがわるに呼び出されて、同じく師匠の大決心を言い聞かされた。弟子たちはみな涙ぐまれるような心持で、神のように尊い師の前に頭《かしら》をさげた。一種悲壮な空気が安倍晴明の子孫の家にみなぎった。
一時は鴨川が溢《あふ》れるかとも危ぶまれた今年のさみだれも、五月の末から俄に晴れつづいて、六月にも七月にも一滴の雨がなかった。火のような雲が空を飛んで、焼けるような強い日が朝から晩まで照りつけた。それに焦《こが》された都の土は大地震のあとのように白く裂けてしまった。鴨川の水も底を見せるほどに痩せて枯れて、死んだ魚は白い腹を河原にさらしていた。大路《おおじ》の柳はぐたり[#「ぐたり」に傍点]と葉をたれて、広い京の町に燕《つばめ》一羽の飛ぶ影もみえなかった。それが京ばかりでなく、近郷近国《きんごうきんごく》いずれもこの大旱《おおひでり》に虐《しいた》げられて、田畑にあるほどの青い物はみな立ち枯れになってしまった。
あらゆる神社仏閣で雨乞いの祈祷が行なわれた。このままにひでりが打ち続いたならば、草木ばかりでなく、人間もやがて蒸し殺されてしまうかもしれないと悲しまれた。八月になっても雨雲の影さえ動かなかった。
「えらい暑さじゃ。総身《そうみ》がゆでらるるような」
薄い藍《あい》色の大空を仰いで、関白忠通は唸るような溜息をついた。さらでも病み疲れている彼が、このごろの暑さに毎日さいなまれているのであるから、骨も肉も半分は溶けたようで、もう生きている心持はなかった。こうした嬲《なぶ》り殺しに逢うほどならば、いっそひと思いに死んだ方がましであるようにも思われた。まして彼の胸にはさまざまの不満や不快の種が充《み》ち満ちている。さりとて今となっては出家遁世して、自分の地位や権力を見すみす頼長に横領されるのも無念であった。
彼は今、玉藻がむいてくれた瓜《うり》の露をすこしばかりすすって、死にかかった蛇のように蒲莚《がまむしろ》の上に蜿《のた》打っていた。それを慰めるのは玉藻がいつもの優しい声であった。
「ほんに何というお暑さやら。天竺は知らず、日本にこのような夏があろうとは……。もう六十日あまりも降りませぬ」
「ここやかしこで雨乞いの祈祷《いのり》も、噂ばかりでなんの奇特《きどく》も見えぬ。世も末になったのう」と、忠通も力なげに再び溜息をついた。
「神ほとけに奇特がないと仰せられまするか」
「論より証拠じゃ。いかに祈ってもひと粒の雨さえ落ちぬわ」
「それは神ほとけに奇特が無いのでない。人の誠が足らぬからかと存じまする」
「それもあろうか」と、忠通はうなずいた。「弟が兄をかたむけようと企て、味方が敵になる世の中じゃ。人に誠の薄いのも是非ないか」
玉藻は忠通をあおいでいる唐団扇《とううちわ》の手を休めて、しばらく考えているらしかったが、あらためて主人の前に手をついた。
「唯今も仰せられました通り、あらゆる神社仏閣の雨乞いが少しも効験《しるし》のないと申すは、世も末になったかのように思われて、神ほとけの御威光も薄らぐと存じられまする。さりとは余りに勿体ないこと。就きましては、不束《ふつつか》ながらこの玉藻に雨乞いの祈祷をお許しくださりませぬか」
小野小町は神泉苑《しんせんえん》で雨を祈った。自分に誠の心があらば神も仏もかならず納受《のうじゅ》させらるるに相違ないと彼女は言った。なるほどそんな道理もあろうと忠通も思った。この玉藻ならばむかしの小町に勝るとも劣るまい。彼女の誠心《まごころ》が天に通じて、果たして雨を呼ぶことができれば世の幸いで、万人の苦を救うことも出来るのである。もう一つには、ここで彼女にそれだけの奇特を示させて置けば、かの采女の問題もやすやす解決して、頼長でも信西でももう故障をいう余地はない。玉藻も立ちどころに殿上に召されて、やがては予定の通りに頼長や信西の一派を蹴落とすことも出来る。こう思うと、忠通の弱った魂はよみがえったように活気づいて、彼は俄に起き直った。
「おお、殊勝な願いじゃ。忠通が許す。早くその祈祷《いのり》をはじめい」
「では、一七日《いちしちにち》のあいだ身を浄めまして、加茂の河原に壇を築かせ、雨乞いの祈祷を試みまする」
玉藻が雨乞いの祈祷は関白家から触れ出された。その式はなるべく壮厳《そうごん》を旨として、堂上堂下の者どもすべて参列せよとのことであった。雑人《ぞうにん》どもの争擾《そうじょう》を防ぐために、衛府の侍は申すにおよばず、源平の武士もことごとく河原をいましめと言い渡された。その日は八月八日と定められた。
「ほう、さりとは不思議。あたかも七十日の満願の当日じゃ」と、泰親はうなずいた。
彼はすぐに信西入道のもとへ使いを走らせて、自分たちも当日は河原へ出て祈りたいと言った。眼《ま》のあたりに魔性の者を祈り伏せるには、願うてもなき好機会であると彼は思った。
信西も同意であった。彼は頼長と打ちあわせて、こちらも表向きは雨乞いの祈祷と言い立て、おなじ河原で祈りくらべをさせることに決めた。一日を二つに分けて、あかつきの卯《う》の刻(午前六時)から午《うま》の刻(十二時)までの半日を泰親の祈祷と定め、午の刻から酉《とり》の刻(午後六時)までの半日を玉藻の祈祷と定め、いずれに奇特があるかを試《ため》さするというのであった。
「又しても彼らが楯を突くか」と、忠通は焦《じ》れて怒った。
しかし玉藻は別に騒ぎもしなかった。祈り比べをするというのは却《かえ》って幸いである。どちらに奇特があるかを万人の見る前でためしたいと言った。
「して、万一わたくしの勝ちとなりましたら、相手の播磨守どのはどうなりましょう」
「むろん流罪《るざい》じゃ。陰陽《おんよう》の家《いえ》へ生まれてこの祈りを仕損じたら、安倍の家のほろぶるは当然じゃ」と、忠通は罵るように言った。
「お気の毒じゃが、是非がござりませぬ」
彼女は自分の勝を信ずるように言った。
忠通も彼女に勝たせたかった。相手の泰親はともかくも、この勝ち負けは結局自分と頼長一派との運定めであるように思われた。彼は苛《いら》いらした心持でその日を待っていた。
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