衣《きぬ》を染めるような濃緑の草や木が高く生《お》い茂っていて、限りもないほどに広い花園には、人間の血よりも紅《あか》い芥子《けし》の花や、鬼の顔よりも大きい百合の花が、うずたかく重なり合って一面に咲きみだれていた。花は紅ばかりでない、紫も白も黒も黄も灼《や》けるような強い日光にただれて、見るから毒々しい色を噴き出していた。その花の根にはおそろしい毒蛇の群れが紅い舌を吐いて遊んでいた。
「ここはどこであろう」
 千枝松は驚異の眼をみはって唯ぼんやりと眺めていると、一種異様の音楽がどこからか響いて来た。京の或る分限者《ぶげんしゃ》が山科の寺で法会《ほうえ》を営《いとな》んだときに、大勢の尊い僧たちが本堂にあつまって経を誦《ず》した。その時に彼は寺の庭にまぎれ込んでその音楽に聞き惚れて、なんとも言われない荘厳の感に打たれたことがあったが、今聞いている音楽のひびきも幾らかそれに似ていて、しかも人の魂をとろかすような妖麗なものであった。彼は酔ったような心持で、その楽《がく》の音《ね》の流れて来る方をそっと窺うと、日本《にっぽん》の長柄《ながえ》の唐傘《からかさ》に似て、その縁《へり》へ青や白の
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