に馴れたわしですらもその話を聞くと身の毛がよだって、わき眼も振らずに駈けぬけて通って来た。お身たちは年が若いで、物珍しさにその殺生石のそばへなど迂闊に近寄ろうも知れぬが、それは命が二つある人のすることじゃ。わしの意見を忘れまいぞ」
 その親切な意見も耳に沁みないように、千枝太郎は大きい眼をかがやかして川むこうの空を眺めていた。師匠の泰親が見透した通り、彼は都の屋敷をぬけ出して、この東国まで遥々とさまよい下ったのであった。なんのためにここまでたずねて来たか。彼は玉藻が魔女であることをよく知っていた。彼はもうそれを疑う余地はなかった。異国から飛び渡った金毛九尾の悪獣が藻という乙女のからだを仮りて、世に禍いをなそうとしたのを、師匠の泰親に祈り伏せられて、三浦と上総とに射留められたのである。それをいっさい承知していながらも、彼はやはり昔の藻が恋しかった。今の玉藻が慕わしかった。
 魔女でもよい。悪獣でもよい。せめて死に場所を一度たずねてみたい。――こうした思いに堪え切れないで、彼は師匠の家をとうとう迷い出た。寂しいひとり旅の日数も積もって、茅萱《ちかや》の繁った武蔵の里をゆき尽くして、利根の河
前へ 次へ
全285ページ中279ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング