今度はすぐに行綱の返事がきこえた。今夜は娘の帰りが遅いので、自分も案じている。おまえは途中で逢わなかったかと言った。千枝松は自分も逢わなかったと口早に答えて、すぐに隣りの陶器師の戸をあらく叩いた。
「また天狗のいたずら者が来おったそうな」
内では翁《おきな》の笑う声がきこえた。千枝松は急《せ》いて呶鳴った。
「天狗でない。千枝ま[#「ま」に傍点]じゃ」
「千枝ま[#「ま」に傍点]が今頃なにしに来た」と、今度は婆が叱るように訊いた。
「婆に逢いたい。あけてくれ」
「日が暮れてからうるさい。用があるならあす出直して来やれ」
千枝松はいよいよ焦《じ》れた。彼は返事の代りに表の戸を力まかせに続けて叩いた。
「ええ、そうぞうしい和郎《わろ》じゃ」
口小言《くちこごと》をいいながら婆は起きて来て、明るい月のまえに寝ぼけた顔を突き出すと、待ち構えていた千枝松は蝗《いなご》のように飛びかかって婆の胸倉を引っ掴んだ。
「言え。となりの藻をどこへやった」
「なんの、阿呆らしい。藻の詮議なら隣りへ行きゃれ。ここへ来るのは門《かど》ちがいじゃ」
「いや、おのれが知っている筈じゃ。やい、婆め。おのれは藻を
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