、ひたすらに娘の生長を待っていた。藻はことし十四になった。
 その年の春に、行綱は娘を連れて清水の観音詣でに行った。その時にいわゆる三年坂でつまずいたのがもとで、彼は三月の末から病いの床に横たわる身の上になった。夏が過ぎ、秋が来ても、彼はやはり枕と薬とに親しんでいるので、孝行な藻の苦労は絶えなかった。貧と病いとにさいなまれている父を救うがために、彼女はふだんから信仰する観音さまへ三七日《さんしちにち》の夜まいりを思い立って、八月の末から夜露を踏んで毎晩清水へかよった。京も荒れて、盗賊の多いこの頃の秋の夜に、乙女《おとめ》ひとりの夜道は心もとないと父も最初はしきりにとめたが、藻はどうしても肯《き》かなかった。彼女は父の病いを癒したい一心に、おそろしい夜道を遠くかよいつづけた。
 しかし一七日《いちしちにち》の後には、藻に頼もしい道連れができた。それはかの千枝松で、彼は烏帽子|折《お》りの子であった。これも早くふた親にわかれた不運な孤児《みなしご》で、やはり烏帽子折りを生業《なりわい》としている叔父叔母のところへ引き取られて、ことし十五になった。叔父の大六は店あきないをしているのでない。京
前へ 次へ
全285ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング