面《はくめん》金毛《きんもう》九尾《きゅうび》の狐が那須の篠原《しのはら》にあらわれて、往来の旅びとを取り啖《くら》うは勿論、あたりの在家《ざいけ》をおびやかして見あたり次第に人畜を屠《ほふ》り尽くすので、宗重は早速に自分の人数を駆りあつめて幾たびか狐狩りを催したが、神通自在の妖獣はここに隠れかしこに現われて、どうしても彼らの手には負えないので、結局それを上聞《じょうぶん》に達するというのであった。頼長はすぐに泰親を召して占わせると、その金毛九尾の妖獣はまさしく玉藻の姿であることが判った。玉藻は東国へ飛び去って、那須野《なすの》ケ原をその隠れ家としているのであった。
「おそらく宗重一人の力では及び申すまい。それがしは都にあって再び調伏をこころみ申す間、源平両家の武士のうちより然るべき者どもを東国へ下され、宗重に力をあわせて悪獣退治のおん計らい然るびょう存じまする」と、泰親は申し上げた。
 玉藻の正体があらわれてから、関白忠通は世間に面目を失った。大納言師道も病気と申し立てて官職を辞した。殊に忠通は魔性の者にたぶらかされて、彼女を采女に申し勧めたのであるから、その責任はいよいよ重大であった。彼も関白の職を去って桂の里の山荘に引き籠ることになった。
 したがって当時の殿上は頼長の支配である。頼長は泰親の意見を容《い》れて、源平両家の武士のうちから然るべきものをすぐり出そうとしていると、それを洩れ聞いて、第一に願い出たのは三浦介義明であった。
 三浦は東国の生まれである。老年ではあるが、弓矢のわざにも長《た》けている。殊に彼は最愛の孫娘を悪魔の手に奪われている。それらの事情をかんがえて、殿上の議論も彼を選むことに一致した。頼長は彼一人に命ずるつもりであったが、源平両家がならび立っている以上、源氏の三浦に対して平家からも相当の武士一人を選み出さなければ権衡をうしなうという議論が勝ちを占めて、平家からは上総介広常を選むことになった。広常はまだ二十九歳で、これも東国の生まれであった。
 三浦、上総の両介はすぐに支度を整えて東国に走《は》せ下った。泰親はかさねて屋敷のうちに調伏の壇をしつらえた。泰忠その他の弟子たちも壇にのぼる人になった。千枝太郎も無論その一人に加えられたが、彼は不思議に魂がゆるんで、どうしても今までのような張り詰めた気分になれなかった。彼は日々のおごそかな祈祷に倦《う》んで来た。
 十月もやがて終わりに近い日である。
 都には今年の冬が俄に押し寄せたように、陰った底寒い日が幾日もつづいて、けさはめずらしく青々とした空をみせたかと思うと、どこからか忽ちにしぐれ雲を運び出して、大粒の霰《あられ》がはらはらと落ちて来た。那須の篠原に狩り暮らしている三浦、上総の籠手《こて》の上にも、こうした霰がたばしっているかと千枝太郎は遠く思いやった。そうして、やがては彼らの矢じりに貫かれなければならない玉藻の運命をも思いやった。こうした考えに心を迷わせている間に、彼の祈祷はおのずとおろそかになった。その怠りがすぐに師匠の眼についた。
「千枝太郎。きょうは大事の日じゃ。おのれはならぬ。さがれ」
 泰親は激しく彼を叱りつけて、祈祷の壇から追い落とした。そうして泰藤という他の弟子に代らせた。
 その日の未《ひつじ》の刻(午後二時)である。泰親は四人の弟子たちから青、黄、赤、黒の幣《へい》を取りあつめ、自分の持っていた白い幣と一つにたばねて、壇を降って縁さきに出た。折りから音を立てて降って来た霰のなかに、彼は東国の空を仰いで五色の幣を一度に投げあげると、四つの幣は宙を舞って元の庭に落ちたが、唯ひとつの白い幣はさながら白い鳥の飛ぶように、高い空をどこまでも走って行った。
 泰親は跳りあがってそのゆくえを見送った。
「あの幣の落つるところに妖魔は確かに封じられた」
 あたかもこの日のこの時刻である。三浦と上総とは霰のなかで那須の篠原を狩り立てて、金毛の狐を射倒したのであった。三浦の黒い矢は狐の頸筋を射た。上総の白い矢は狐の脇腹を射た。その注進はわずかに五日の後、早馬を以って都に伝えられた。
 播磨守泰親は再び面目を施した。しかし重ねがさねの心労で、彼はその後|十日《とおか》ばかりは病いの床についた。その間のある夕に、千枝太郎は看病の枕もとをぬけ出して行くえが知れなかった。病いが癒えてから泰親はそれを知って、溜息をつきながら弟子たちに言い聞かせた。
「彼はおそらく那須野へさまよって行ったのであろう。所詮かれの面《おもて》にあやかしの相は消えぬ。救おうとしても救われまい。これも逃れぬ宿世《すくせ》の業《ごう》じゃ」
 弟子たちももう彼のゆくえを探そうとはしなかった。

    三

「その狐は顔だけが雪のように白うて、胴体や四足の毛は黄金《こがね》のように輝
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