まあ、急《せ》くな。野良狐めが巣を食っているところはこのあたりにたくさんある。まず手近の森から探してみようよ」
翁は内へ引っ返して小さい鎌と鉈《なた》とを持ち出して来た。畜生めらをおどすには何か得物《えもの》がなくてはならぬと、彼はその鉈を千枝松にわたして、自分は鎌を腰に挟んだ。そうして、田圃を隔てた向こうの小さい森を指さした。
「お前も知っていよう。あの森のあたりで時どきに狐火が飛ぶわ」
「ほんにそうじゃ」
二人は向こうの森へ急いで行った。落葉や枯草を踏みにじって、そこらを隈なく猟《あさ》りあるいたが、藻の姿は見付からなかった。二人はそこを見捨てて、さらにその次の丘へ急いだ。千枝松は喉《のど》の嗄《か》れるほどに藻の名を呼びながら歩いたが、声は遠い森に木谺《こだま》するばかりで、どこからも人の返事はきこえなかった。それからそれへと一|※[#「※」は「日へんに向」、読みは「とき」、26−16]《とき》ほども猟りつくして、二人はがっかりしてしまった。気がついて振り返ると、どこをどう歩いたか、二人は山科郷のうちの小野という所に迷って来ていた。ここは小野小町《おののこまち》の旧蹟だと伝えられて、小町の水という清水が湧いていた。二人はその冷たい清水をすくって、息もつかずに続けて飲んだ。
「千枝ま[#「ま」に傍点]よ。夜が更けた。もう戻ろう。しょせん今夜のことには行くまい」と、翁は寒そうに肩をすくめながら言った。
「じゃが、もう少し探してみたい。爺さま、ここらに狐の穴はないか」
「はて、執念《しゅうね》い和郎じゃ。そうよのう」
少し考えていたが、翁は口のまわりを拭きながらうなずいた。
「おお、ある、ある。なんでもこの小町の水から西の方に、大きい杉の木の繁った森があって、そこにも狐が棲んでいるという噂じゃ。しかし迂闊にそこへ案内はならぬ。はて、なぜというて、その森の奥には、百年千年の遠い昔に、いずこの誰を埋めたとも知れぬ大きい古塚がある。その塚のぬしが祟《たた》りをなすと言い伝えて、誰も近寄ったものがないのじゃ」
「そりゃ塚のぬしが祟るのでのうて、狐が禍《わざわ》いをなすのであろう」と、千枝松は言った。
「どちらにしても、祟りがあると聞いてはおそろしいぞ」と、翁はさとすように言った。
「いや、おそろしゅうても構わぬ。わしは念晴らしに、その森の奥を探ってみる」
千枝松は鉈をとり直して駈け出した。
独《ひと》り寝《ね》の別《わか》れ
一
止めても止まりそうもないと見て、陶器師の翁《おきな》はおぼつかなげに少年のあとを慕って行った。二人は幽怪な伝説を包んでいる杉の森の前に立った。
杉の古木は枝をかわして、昼でも暗そうに掩いかぶさっているが、森の奥はさのみ深くもないらしく、うしろは小高い丘につづいていた。千枝松は鉈を手にして猶予なく木立ちの間をくぐって行こうとするのを翁はまた引き止めた。
「これ、悪いことは言わぬ。昔から魔所のように恐れられているところへ、夜ふけに押して行こうとは余りに大胆じゃ。やめい、やめい」
「いや、やめられぬ。爺さまがおそろしくば、わし一人でゆく」
つかまれた腕を振り放して、彼は藻の名を呼びながら森のなかへ狂うように跳り込んで行った。翁は困った顔をして少しく躊躇していたが、さすがにこの少年一人を見殺しにもできまいと、彼も一生の勇気を振るい起こしたらしく、腰から光る鎌をぬき取って、これも千枝松のあとから続いた。森の中は外から想像するほどに暗くもなかった。杉の葉をすべって来る十三夜の月の光りが薄く洩れているので、手探りながらもどうにかこうにか見当はついた。多年人間が踏み込んだことがないので、腐った落葉がうず高く積もって、二人の足は湿《しめ》った土のなかへ気味の悪いようにずぶずぶと吸い込まれるので、二人は立ち木にすがって沼を渡るように歩いた。
「千枝ま[#「ま」に傍点]よ、ありゃなんじゃ」
翁がそっとささやくと、千枝松も思わず立ちすくんだ。これが恐らくあの古塚というのであろう。ひときわ大きい杉の根本に高さ五、六尺ばかりかと思われる土饅頭《どまんじゅう》のようなものが横たわっていて、その塚のあたりに鬼火のような青い冷たい光りが微かに燃えているのであった。
「なんであろう」と、千枝松もささやいた。言い知れぬ恐れのほかに、一種の好奇心も手伝って、彼はその怪しい光りを頼りに、木の根に沿うて犬のようにそっと這って行った。と思うと、彼はたちまちに声をあげた。
「おお、藻じゃ。ここにいた」
「そこにいたか」と、翁も思わず声をあげて、木の根につまずきながら探り寄った。
藻は古塚の下に眠るように横たわっていた。鬼火のように青く光っているのは、彼女が枕にしている一つの髑髏《されこうべ》であった。藻はむかしから人間のは
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