して、毎日退屈そうに送っていらるるは見るも気の毒じゃ。そちが参って都のめずらしいお話などお聞かせ申したらお慰みにもなろうに……」
 それは千枝太郎が待ち設《もう》けているところであったので、彼は是非お目通りが願いたいと頼むと、家来の一人は奥へ立って行ったが、やがて一人の侍女らしい女を連れて来て、彼女の案内で庭口へまわれと言った。その案内に連れて、千枝太郎は草ぶかい庭伝いに奥の方へ進んでゆくと、昼でも薄暗い座敷のなかに、神々《こうごう》しいように美しい若い女が坐っていた。そのそばに一人の侍女が控えていた。
「烏帽子折りを連れてまいりました」と、千枝太郎を案内して来た侍女は言った。
 彼女は千枝太郎を庭さきに残して、自分だけは縁にのぼって主人のそばに行儀よく坐った。
「初めてお目通り仕まつりまする」
 千枝太郎は、草に手をつきながらそっと見あげると、正面に坐っている若い女――無論それが三浦の孫娘の衣笠であろう――年こそ少し若いが、その顔かたちはかの玉藻に生き写しであった。彼はあっ[#「あっ」に傍点]と言おうとする息をのみ込みながら、少し伸び上がって無遠慮にその顔をじっと覗き込むと、女の顔は不思議なほど玉藻によく似ているので、彼はなんだか薄気味悪くなって来た。化生《けしょう》の物がこの空き屋敷の奥にかくれ住んでいて、自分をたぶらかすのではないかとも疑われた。
 白昼《まひる》の秋の日は荒れた草むらを薄白く照らして、赤い蜻蛉《とんぼう》が二つ三つ飛んでいる。それを横眼にみながら彼は黙って俯向いていると、侍女どもは交るがわるに京の名所などを訊いた。
 彼を呼び込んだのは主人の娘の料簡ではなく、侍女どもが自分の退屈しのぎに京の男と話して見たさに、娘をそそのかして呼ばせたものらしい。娘は始終つつましやかに黙って聴いていた。それが千枝太郎には物足らなかった。彼は玉藻によく似たその娘の口から何かの詞《ことば》を聴き出したいと念じていたが、口の軽い侍女どもばかりに物をいわせて、娘の結んだ口はなかなかほぐれなかった。それでも彼が渡辺の綱に腕を斬られたという戻橋《もどりばし》の鬼女の話をした時に、娘の美しい眉は少しひそめられた。
「そのような不思議がまことにあったかのう」
 それは若い女にあり勝ちの恐怖の弱い声ではなかった。優しいなかにも一種の勇気を含んでいるような、冴え渡った声であった。千枝太郎は驚かされたように再びその顔をじっと見あげると、この衣笠という娘の顔かたちが玉藻によく似ているとはいうものの、その艶色におのずから相違が見いだされた。玉藻は妖麗《ようれい》であった。衣笠は端麗《たんれい》であった。千枝太郎はこの相違を比較して考えた。そうして、今までは玉藻のほかに殆んど女というものに眼をくれたことがなかった彼の若い魂が、眼に見えない糸にひかれて衣笠の方へだんだん吸い寄せられて行った。
「いろいろの話を聴いて面白かった。あすも又来やれ」と、侍女どもは言った。
「あすもまた御機嫌伺いにあがりまする」
 一※[#「※」は「日へんに向」、読みは「とき」、205−1]《いっとき》ほどの後に千枝太郎は暇乞いをして帰った。それから京の町をひとめぐりしたが、きょうも都の人はちっとも彼に商売《あきない》をさせてくれなかった。それでも三浦の屋敷で幾らかの仕事をしたのに満足して、彼は軽い心持で山科へ戻った。
 あくる日も早く起きて、千枝太郎は京へ行った。そうして、真っ直ぐに三浦の屋敷をたずねると、彼は小源二から意外の話を聞かされた。衣笠はゆうべ物怪《もののけ》に襲われたというのであった。
「おれはその場に居合わせたのではないが、侍女どもの話はこうじゃ」と、小源二は烏帽子の緒を締め直しながらささやいた。「きのうの夕暮れじゃ。衣笠どのが端《はし》近う出て虫の音に聞き惚れていらるると、庭の秋草の茂みから煙りのように物の影があらわれた。見るみるうちに、それが美しい上臈の姿になって、檜扇《ひおうぎ》におもてをかくしながら涼しげな声でこう言った。お身は京に長くとどまっていたら必ず禍いがある。早う故郷へ戻られいと……。しかし衣笠どのは気丈の生まれじゃで、眼も動かさずにじっとその怪しい物を見ていらるると、上臈はまた言った。わらわの申すことを用いねば命はないぞ、その期《ご》に及んで後悔おしやるなと、言うかと思うと、その檜扇の蔭から怖ろしい……人か幽霊か鬼か獣《けもの》か判らぬような、世に悽愴《ものすご》い変化《へんげ》のおもてが……。侍女どもはさすがにあっ[#「あっ」に傍点]とおびえて思わず顔を掩って俯伏してしまったが、衣笠どのはあくまでも気丈じゃ、懐ろ刀に手をかけて寄らば討とうと睨みつめていらるると、怪しい上臈はあざけるように、ほほと軽く笑いながら、再び草むらへ消えるように隠れて
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