は立ちはだかったままで誇るように言った。「それがしの御主人は三浦介《みうらのすけ》殿じゃ」
「三浦介殿……。では衣笠《きぬがさ》の三浦介殿でござりますな」
「よう存じておる。唯今まいられたのがその三浦介殿じゃ」
烏帽子のあつらえ手は相州《そうしゅう》衣笠の城主で三浦介源|義明《よしあきら》であることを家来は説明した。三浦介は上総介《かずさのすけ》平広常と共に京都の守護として、このごろ坂東から召しのぼられたのであった。
「そのような武将の冠《かぶ》り物を折りまするは、わたくしの職の誉《ほま》れでござりまする」と、千枝太郎は追従《ついしょう》でもないらしく言った。
「そう存じたら、念を入れて仕まつれ」と、家来は直垂《ひたたれ》の袖で鼻をこすった。
坂東武者も初の上洛に錦を飾って来たとみえて、その直垂には藍の匂いがまだ新しいようであった。
三浦《みうら》の娘《むすめ》
一
そのときに三浦の家来はこういうことをも自慢そうに話した。
主人三浦介の孫娘に衣笠《きぬがさ》というのがある。自分の代々住んでいる城の名を呼ばせるくらいであるから、その寵愛はいうまでもない。ことし十六で相模一国にならぶかたもない美女である。祖父の義明がこのたびの上洛について、可愛い孫娘にも一度は都の手振りをみせて置きたいという慈愛から、遠い旅をさせて一緒に連れて来たが、なるほど花の都にもあれほどの美女は少ない。自分も主人の供をして、毎日洛中洛外を見物してあるいているが、衣笠殿ほどの美しい女子《おなご》に殆んど出逢ったことがない。当時都で噂の高い玉藻の御《ご》というのはどんな人か知らないが、おそらくそれにも劣るまいとのことであった。
田舎侍の主人自慢はめずらしくない。しかしその話を半分に聴いても、三浦の孫娘がすぐれた美女であるらしいことは千枝太郎にも想像された。年の若い烏帽子折りはその美しい相模おんなを一度見たいような浮かれ心にもなった。
「三浦殿の御家来衆は大勢《おおぜい》でござりまするか」と、彼は訊いた。
「上下二十人で、ほかに衣笠殿と附き添いの侍女《こしもと》が二人じゃ」
「二十人の御家来衆とあれば、烏帽子の御用もござりましょう。して、お宿は……」
「七条じゃ。時どきに来て見やれ」
「その折りにはよろしく願いまする」
千枝太郎は彼と約束して別れた。家へ帰ってきょうの話をすると、あきないに馴れた叔父の大六は言った。
「そりゃ誰とても同じことで、顔馴染みのうすいあいだは商売も薄いものじゃ。これを飽きずに堪えねば、職人も商人《あきうど》も世は渡られぬ。まして三浦介殿が家来の衆と顔馴染みになったは仕合わせじゃ。坂東の衆は気前がよい。ぬけ目なくその宿所へ立ち廻って、ひとかどの得意先きにせねばならぬぞ」
古塚のことも気にかかりながら、きょうは京じゅうを一日あるき廻って、千枝太郎もさすがに疲れたので、そのまま寝てしまった。あくる日は早く起きて京の町へ出た。
七条へ行って、三浦の宿所を探していると、きのうの家来に丁度出逢った。家来はきのうと違った直垂を着ていた。千枝太郎は馴れなれしく話しかけて、彼の名が小源二《こげんじ》ということまでも聞いてしまった。
「失礼ながら、お前は服装《みなり》に似合わぬ、烏帽子の折りざまが田舎びているような。わたくしが都風に折って進ぜましょう」
彼は新しい烏帽子を折ってやった。そうして、その価《あたい》を受け取らなかった。その代りにお前の宿へ案内して、ほかの人たちの仕事を頼まれるように口添えをしてくれと相談すると、小源二はこころよく受け合った。
「では、一緒に来やれ。屋敷はすぐそこじゃ」
誰やらの空き屋敷を仮りの宿所にあてているらしく、構えの大きい割には屋敷の内もひどく荒れて、うす暗い庭には秋草がおどろに乱れてそよいでいた。遠侍《とおざむらい》らしいところに、七、八人の家来が武者あぐらを掻いていた。小源二は千枝太郎を彼らに引き合わせて、再び表へ出て行った。
主人は留守で、用のない家来どもは退屈しているらしく、千枝太郎を相手にして京の名所や風俗の噂などを聴いた。そのなかには烏帽子をあつらえる者もあった。千枝太郎は仕事をしながら一生懸命に彼らの機嫌を取っていると、正直な坂東の男どもは馴染みのうすい烏帽子折りをひどく信用してしまって、何もかも打ち明けて話した。そのうちに衣笠の噂も出た。
「その娘御《むすめご》は世に美しいお方じゃそうに承りました。きょうもお宿でござりまするか」と、千枝太郎は訊いた。
「おお、奥にござるよ」と、一人が言った。「どうじゃ、そちも奥へまいってお目見得せぬか。女儀《にょぎ》のことじゃで毎日出歩きもならぬ。さりとて初めてのお上《のぼ》りじゃで別に親しい友達もない。侍女《こしもと》どもばかりを相手に
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