辰《たつ》年で、例の鼠小僧次郎吉が召捕りになった年だが、その正月二日の朝の出来事だ。」
 と、老人は話し出した。
「今でも名残をとどめているが、むかしは正月二日の初荷、これが頗る盛んなもので、確かに江戸の初春らしい姿を見せていた。そこで、話は二日の朝の五つ半に近いころだというから、まず午前九時ごろだろう。日本橋大伝馬町二丁目の川口屋という酒屋の店さきへ初荷が来た。一丁目から二丁目へかけては木綿問屋の多いところで俗に木綿店《もめんだな》というくらいだが、この川口屋は酒屋で、店もふるい。殊に商売であるから、取分けて景気がいい。朝からみんな赤い顔をして陽気に騒ぎ立てている。
 初荷の車は七、八台も繋がって来る。いうまでもないが、初荷の車を曳く牛は五色の新しい鼻綱をつけて、綺麗にこしらえている。その牛車が店さきに停まったので、大勢がわやわや言いながら、車の上から積樽をおろしている。そのあいだは牛を休ませるために、綱を解いて置く。すると、ここに一つの騒動が起った。というのは、この朝は京橋の五郎兵衛町から正月早々に火事を出して、火元の五郎兵衛町から北紺屋町、南伝馬町、白魚屋敷のあたりまで焼いてしま
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