の情けのと騒いでいるばかりでは、いつまでたっても際限《はてし》があるまい。所詮は強い者の世の中だ。みんなも精出して強くなれ。世間に強いものが多くなれば、弱いものは自然に救われるのだ。
青年 判った、わかった。わたしもこれから強くなろう。年寄りや女子供を救うのは若い者の務めだ。
蟹 弱い奴の千人よりも、強い奴の方が頼もしいのだ。しっかり頼むぞ。
青年 よし。私はおまえの見る前で、神に誓おう。
(青年《わかもの》は投げ捨てたる弓を取り、ひざまずきて額にいただく。)
娘 わたしは命を助けられた恩がえしに、蟹のすがたを絵にかかせて、末代までも残るように、近所のお寺へ納めましょう。
翁 おお、いいところへ気がついた。蟹に救われた人間があるということを世間の人に知らせるために、蟹の姿を絵にかかせて、お寺に納めて置くがよかろう。
嫗 やがてそれがお寺の名になって、山城国《やましろのくに》に古蹟が一つ殖えるかも知れない。
蟹 そんなことはどうでもいい。用が済んだらおれは帰るぞ。
(蟹は長刀《なぎなた》をたずさえて悠々と奥に入る。翁と嫗と娘はそのうしろ姿を拝む。青年《わかもの》は腕をくみて考える。)

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