《くら》うつもりだろうか。ここらの海亀は蝦や蟹を啖うが、人間を啖ったという話をきかない。しかしこんなに多数の海亀に襲われると、僕たちも危険を感ぜずにはいられなくなった。僕もしまいには闘い疲れてしまった。美智子さんはもう死んだようになっている。かれらはほとんど無数というほどに増加して、舟の周囲に一面の甲羅をならべたのが月の光りにかがやいて見える……。君がこういう奇異に遭遇したらどうするか。僕は疲労と恐怖で身動きも出来なくなった。」
 成程これは困ったに相違ないと、僕も同情した。同情を通り越して、僕もなんだが体の血が冷たくなったように感じられて来た。おそらく顔の色も幾分か変ったかも知れない。
「その場合、君にしても櫂を取って防ぐくらいの知恵しか出ないだろう。」と、清はあざわらうように言った。「そんな常識的な防禦法で、この怪物……人魚以上の怪物が撃退されると思うか。駄目だ、駄目だ。精神的にも肉体的にも戦闘能力を全然奪われてしまって、僕は敗軍の兵卒のようにただ茫然としているあいだに、無数の敵は四方から僕の舟に乗込んで来た。どういうふうに攀《よ》じのぼって来たのか、僕もよく知らないが、ともかくも
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