みであるから、初日を待ちかねて春木座を見物した。一日の午前四時、前夜から買い込んで置いた食パンをかかえて私は麹町の家を出た。
二 舞台の牡丹燈籠
その当時、春木座で興行をつづけていた鳥熊の芝居のことは、かつて他にも書いたので、ここでは詳しく説明しないが、なにしろ団十郎も出勤した大劇場が桟敷と高土間と平土間の三分ぐらいを除いては、他はことごとく大入り場として開放したのである。木戸銭は六銭、しかも午前七時までの入場者には半札をくれる。その半札を持参すれば、来月の芝居は半額の三銭で見られる。われわれのような貧乏書生に取っては、まことに有難いわけであった。
芝居は午前八時から開演するのであるが、そういうわけであるから木戸前は夜の明けないうちから大混雑、観客はぎっしり詰め掛けている。どうしても午前五時頃までに行き着いていなければ、好い場所へは這入られない。私などは大抵四時頃から麹町の家を出るのを例としていた。夏は、好いが、冬は少しく難儀であった。お茶の水の堤に暁の霜白く、どこかで狐が啼いている。今から考えると、まったく嘘のようである。
しかしこの「牡丹燈籠」の時は、八月初めの
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