暑中であるから、大いに威勢が好い。いわゆる朝涼《あさすず》に乗じて、朴歯《ほおば》の下駄をからから踏み鳴らしながら行った。十六歳の少年、懐中の蟇口には三十銭くらいしか持っていないのであるから、泥坊などは一向に恐れなかったが、暗い途中で犬に取り巻かれるのに困った。今日のように野犬撲殺が励行されていないので、寂しい所には野犬の群れが横行する。春木座へ行く時には、私は必ず竹切れか木の枝を持って出た。武器携帯で芝居見物に出るなどは、おそらく現代人の思い及ばないところであろう。この朝も途中で二、三度、野犬と闘ったことを記憶している。
余談は措《お》いて、さてその芝居の話であるが、春木座の「牡丹燈籠」は面白かった。ほとんど原作の通りで、序幕には飯島平左衛門が黒川孝助の父を斬る件りを丁寧に見せていた。この発端を見せる方が、一般の観客には狂言の筋がよく判る。燈籠の件りも悪くはなかったが、円朝の高坐で聴いたような凄味は感じられなかった。やはり円朝は巧いと、ここでも更に感心させられた。一座が上方俳優であるから、こうした江戸の世界の世話狂言には、台詞《せりふ》がねばって聴き苦しいのは已むを得ない欠点で、駒
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