じゅうの人気をほとんど独占していたのは、怖い物見たさ聴きたさが人間の本能であるとは云え、確かに円朝の技倆に因るものであると、今でも私は信じている。
 春陽堂発行の円朝全集のうちに「怪談牡丹燈籠覚書」というものがある。これは円朝自身が初めてこの話を作った時に、心おぼえの為にその筋書を自筆で記《しる》して置いたのであるという。自分の心覚えであるから簡単な筋書に過ぎないが、それを見ても円朝が相当の文才を所有していたことが窺い知られる。円朝は塩原多助を作るときにも、その事蹟を調査するために、上州沼田その他に旅行して、「上野《こうずけ》下野《しもつけ》道の記」と題する紀行文を書いているが、それには狂歌や俳句などをも加えて、なかなか面白く書かれてある。実に立派な紀行文である。
「牡丹燈籠」の原本が「剪燈《せんとう》新話」の牡丹燈記であるとは誰も知っているが、全体から観れば、牡丹燈籠の怪談はその一部分に過ぎないのであって、飯島の家来孝助の復讐と、萩原の下人《げにん》伴蔵の悪事とを組み合わせた物のようにも思われる。飯島家の一条は、江戸の旗本戸田平左衛門の屋敷に起こった事実をそのまま取り入れたもので、そ
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