は夜見世のそぞろ歩きも出来ない。こんな晩には寄席へでも行くのほかは無い。寄席は劇場と違って、市内各区に幾軒も散在していて、めいめいの自宅から余り遠くないから、往復も便利である。木戸銭も廉い。それで一夜を楽しんで来られるのであるから、みんな寄席へ出かけて行く。今日の寄席がとかくに不振の状態にあるのは、その内容いかんよりも、映画その他の娯楽機関が増加したのと、交通機関が発達した為であると思う。実際、明治時代の一夜を楽しむには、近所の寄席へでも行くのほかは無かったのである。
それであるから、近所の寄席へ行くと、かならず近所の知人に出逢うのであった。私は麹町区元園町(此頃は麹町二丁目に編入されてしまった)に生長したが、近所の寄席は元園町の青柳亭、麹町二丁目の万よし、山元町の万長亭で、これらの寄席へ行った時に、顔を見識っている人に逢わなかった例は一度もなかった。かならず二、三人の知人に出逢う。殊に正月などは、十人|乃至《ないし》二十人の知人に逢うことは珍しくなかった。私が子供の時には、その大勢の人達から菓子や煎餅や蜜柑などを貰うので、両方の袂が重くなって困ったことがあった。
そんなわけで、そ
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