いけない。あの岡っ引はさすがに商売で、とうとうわたしに眼をつけたらしい。
お冬 岡っ引が、もうここの店へ来たんですかえ。
和吉 大和屋の旦那と一緒に来て、酔っぱらっている振りをして、主殺しがここの店にいると大きい声で呶鳴り散らした上に、あてつけらしく磔刑《はりつけ》の講釈までして聞かせるので、わたしはもうそこに居たたまれなくなった位だ。(おびえたように左右をみかえる。)そこで、わたしはもう覚悟を決めてしまった。ここの店から縄附きになって出て、牢へ入れられて、引き廻しになって、それから磔刑になる。そんな怖ろしい目に逢わないうちに、わたしは一と思いに死んでしまう積りだ。
お冬 え。
和吉 そういうわけだから、おまえから見れば若旦那を殺した仇に相違ないが、わたしの心持もすこしは察して、どうぞ可哀そうだと思っておくれ。若旦那を殺したのはわたしが重々悪い。この通り、手をついて幾重にもあやまる……。その代り手前勝手の云い分かは知らないが……。(涙ぐんで。)わたしが死んだあとでは、せめてお線香の一本も供えておくれ。それが一生のお願いだ。
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(お冬も泣きなが
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