いよいよ息をはずませる。)唯むやみに若旦那が憎くってならなかった。いくら御主人でももう堪忍が出来ないような気になって……。わたしは気が違ったのかも知れない。今度の初午の芝居を丁度幸いに、日蔭|町《ちょう》から出来合いの刀を買って来て、幕のあく間際《まぎわ》にそっと掏りかえて置くと、それがうまく行って……。それでも若旦那の勘平がほんとうに腹を切って、血だらけになって楽屋へかつぎ込まれた時には、わたしも総身に冷水《ひやみず》を浴びせられたようにぞっとした。それから若旦那が息をひき取るまで二日二晩のあいだ、わたしはどんなに怖い思いをしたろう。若旦那の枕もとへいくたびに、わたしはいつでもぶるぶる顫えていた。
お冬 (怨みの声をふるわせる。)和吉さん。おまえはなんという人だろう。あんまりだ、あんまりだ。(泣く。)
和吉 さあ、腹の立つのは重々もっともだが、もう少し辛抱して聴いておくれ。恋がたきの若旦那がいなくなれば、おそかれ早かれお前はわたしの物になる。いや、きっとわたしの物にしてみせる……。それを思うと、嬉しいが半分、苦しいが半分で、きょうまでこうして生きて来たが……。(嘆息して。)ああ、もう
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