清さんがお前さんに折入って頼みたいことがあると云うんですがね。
半七 むむ。そうか。(文字清に。)もし、おまえさん。どんな御用だか知りませんが、わたしに出来そうなことだかどうだか、まあ伺って見ようじゃありませんか。
文字清 ありがとうございます。だしぬけにお邪魔に出まして、まことに恐れ入りますが、わたくしもどうしていいか思案に余って居りますもんですから、かねて御懇意にいたして居ります文字房さんにお願い申して、こちらへ押掛けに伺いましたような訳で……。お聞き及びかも知れませんが、この十日《とおか》の初午の晩に具足町の和泉屋で素人芝居がございました。そのときに和泉屋の若旦那が六段目の勘平で切腹すると、刀がいつの間にか本身に変っていたので、ほんとうに腹を切ってしまいました。
半七 それはわたしもその場に立会って知っています。和泉屋でも大騒ぎをして、医者を呼んで疵口を縫わせて、色々に手当をしたが、二日《ふつか》二晩苦しみ通して、とうとう息を引き取ったそうで、どうも可哀そうなことをしましたよ。
おくめ そのことに就いて、文字清さんが大変に口惜《くや》しがっているんですよ。
文字清 (泣き出す。)
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