。)
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亀吉 番茶でございますよ。
半七 話が少し入り組んで来たようだ。おめえは奥へ行っていろ。
亀吉 あい、あい。(奥に入る。)
半七 おい、師匠。文字清さん。和泉屋の息子の角太郎というのは、ほんとうにお前さんの子供かえ。
文字清 (顔をあげる。)はい。角太郎はわたくしの実の倅でございます。こう申したばかりではお判りになりますまいが、今から丁度二十年前のことでございます。わたくしが仲橋《なかばし》の近所でやはり常磐津の師匠をいたして居りますと、和泉屋の大旦那がまだ若い時分で時々遊びに来まして、自然にまあその世話になって居りますうちに、わたくしはその翌年に男の子を生みました。それが今度なくなりました角太郎で……。
半七 じゃあ、その男の子を和泉屋の方で引取ったんだね。
文字清 そうでございます。和泉屋のおかみさんがその事を聞きまして、丁度こっちに子供がないから引取って自分の子にしたいと……。わたくしは手放すのはいやでしたけれど……。(又泣く。)向うへ引取られれば立派な店の跡取りにもなれる、つまりは本人の出世にもなることだと思いまして、生まれると間もなく和泉屋の方へ渡してしまいました。
半七 そうして、おまえさんは其後も和泉屋へ出這入りをしていなすったのかえ。
文字清 こういう親があると知れては、世間の手前もあり、当人の為にもならないというので、わたくしは相当の手当てを貰いまして、せがれとは一生縁切りという約束をいたしました。それから唯今の下谷へ引越しまして、相変らずこの商売をいたして居りますが、やっぱり親子の人情で、一日でも生みの子のことを忘れたことはございません。せがれがだんだんに大きくなって、立派な若旦那になったという噂を聴いて、わたくしも蔭ながら喜んで居りますと、とんでもない今度の騒ぎで、わたくしはもう気でも違いそうになりました。(身をふるわせて又泣く。)
半七 なるほど、そんないきさつ[#「いきさつ」に傍点]があるのかえ。わたしはちっとも知らなかった。それにしても若旦那の死んだのは不時の災難で、だれを怨むというわけにもいくめえと思うが……。それともそこには何か理窟がありますかえ。
文字清 (きっとなって。)はい。判って居ります。あの角太郎はおかみさんが殺したに相違ございません。
おくめ それをわたしも今朝はじめて聞いたんですけれど、まさかに大家のおかみさんがそんな事を……。ねえ、兄さん。
半七 まあ、横合いから口を出すな。これは大切な御用の話だ。これからは師匠と膝組みで話をしなければならねえ。おまえもちっとのあいだ奥へ行っていろ。
おくめ はい。(文字清に。)じゃあ、おまえさんも御ゆっくりとお話しなさい。
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(おくめは奥に入る。)
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半七 おい、師匠。もっとこっちへ来てくんねえ。和泉屋のおかみさんが若旦那を殺したというには何か確かな証拠でもあるのかえ。若旦那を殺すほどならば、初めから自分の方へ引取りもしめえと思うが……。
文字清 角太郎が和泉屋へ貰われてから四年目に今のおかみさんの腹に女の子が出来ました。おてるといって今年十六になります。ねえ、親分。おかみさんの料簡になったら、角太郎が可愛いでしょうか、自分の生みの娘が可愛いでしょうか。角太郎に家督をゆずりたいでしょうか、おてるに相続させたいでしょうか。(だんだんに興奮して。)ふだんはいくら好い顔をしていても、人間の心は鬼です。邪魔になる角太郎をどうして亡き者にしようかぐらいの事は考え付こうじゃありませんか。まして角太郎は旦那の隠し子ですもの、腹の底には女のやきもちもきっとまじっていましょう。そんなことを色々かんがえると、おかみさんが自分でしたか人にやらせたか知りませんけれど、楽屋のごたごたしている隙をみて本物の刀とすり換えて置いたに相違ないと、わたくしが疑ぐるのが無理でしょうか。
半七 むむ。
文字清 (いよいよ興奮して。)それはわたくしの邪推でしょうか。親分、おまえさんは何とお思いです。(詰めよる。)
半七 (しずかに。)それだけの話を聴いたところじゃあ、お前さんがそう思い詰めるのも無理じゃあねえが……。
文字清 無理どころか、まったくそれに相違ないんです。わたくしは口惜しくって、口惜しくって……。いっそ出刃庖丁でも持って和泉屋の店へあばれ込んで、あん畜生をずたずたに斬り殺してやろうかとも思っているんですが……。
半七 (なだめるように。)まあ、まあ、そんな短気は出さねえ方がいい。お前さんはそう一|途《ず》に決めていても、世の中の事というものは白紙《しらかみ》へ一文字を引いたように、無造作にわかるものじゃあねえ。ともかくも悪いようにはしねえから、この一件はわたしに任せて置きな
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