影を踏まれた女――「近代異妖編」
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)今は流行《はや》らない。

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)両|袖《そで》をかき合せながら、

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)しよんぼり[#「しよんぼり」に傍点]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)一度にばら/\と駈けよつて来て、
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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     一

 Y君は語る。

 先刻も十三夜のお話が出たが、わたしも十三夜に縁のある不思議な話を知つてゐる。それは影を踏まれたといふことである。
 影を踏むといふ子供遊びは今は流行《はや》らない。今どきの子供はそんな詰らない遊びをしないのである。月のよい夜ならばいつでも好さゝうなものであるが、これは秋の夜にかぎられてゐるやうであつた。秋の月があざやかに冴《さ》え渡つて、地に敷く夜露が白く光つてゐる宵々に、町の子供たちは往来に出て、こんな唄《うた》を歌ひはやしながら、地にうつる彼等の影を踏むのである。
 ――影や道陸神《どうろくじん》、十三夜のぼた餅《もち》――
 ある者は自分の影を踏まうとして駈《か》けまはるが、大抵は他人の影を踏まうとして追ひまはすのである。相手は踏まれまいとして逃げまはりながら、隙《すき》をみて巧みに敵の影を踏まうとする。また横合《よこあい》から飛び出して行つて、どちらかの影を踏まうとするのもある。かうして三人五人、多いときには十人以上も入《い》りみだれて、地に落つる各自《めいめい》の影を追ふのである。勿論《もちろん》、すべつて転ぶのもある。下駄《げた》や草履《ぞうり》の鼻緒を踏み切るのもある。この遊びはいつの頃から始まつたのか知らないが、兎《と》にかくに江戸時代を経て、明治の初年、わたし達の子どもの頃まで行はれて、日清戦争の頃にはもう廃《すた》つてしまつたらしい。
 子ども同士がたがひに影を踏み合つてゐるのは別に仔細《しさい》もないが、それだけでは面白くないとみえて、往々にして通行人の影をふんで逃げることがある。迂闊《うかつ》に大人の影を踏むと叱《しか》られる虞《おそ》れがあるので、大抵は通りがかりの娘や子供の影を踏んでわつと囃《はや》し立てゝ逃げる。まことに他愛のない悪戯《いたずら》ではあるが、たとひ影にしても、自分の姿の映つてゐるものを土足で踏みにじられると云ふのは余り愉快なものではない。それに就《つい》てこんな話が伝へられてゐる。
 嘉永《かえい》元年九月十二日の宵である。芝の柴井町《しばいちょう》、近江屋《おうみや》といふ糸屋の娘おせきが神明前《しんめいまえ》の親類をたづねて、五つ(午後八時)前に帰つて来た。あしたは十三夜で、今夜の月も明るかつた。ことしの秋の寒さは例年よりも身にしみて、風邪《かぜ》引《ひ》きが多いといふので、おせきは仕立ておろしの綿入《わたいれ》の両|袖《そで》をかき合せながら、北に向つて足早に辿《たど》つてくると、宇田川町《うだがわちよう》の大通りに五六人の男の児《こ》が駈《か》けまはつて遊んでゐた。影や道陸神《どうろくじん》の唄《うた》の声もきこえた。
 そこを通りぬけて行きかゝると、その子供の群は一度にばら/\と駈けよつて来て、地に映つてゐるおせきの黒い影を踏まうとした。はつと思つて避けようとしたが、もう間にあはない。いたづらの子供たちは前後左右から追取《おつと》りまいて来て、逃げまはる娘の影を思ふがまゝに踏んだ。かれらは十三夜のぼた餅《もち》を歌ひはやしながらどつと笑つて立去つた。
 相手が立去つても、おせきはまだ一生懸命に逃げた。かれは息を切つて、逃げて、逃げて、柴井町の自分の店さきまで駈けて来て、店の框《かまち》へ腰をおろしながら横さまに俯伏《うつぶ》してしまつた。店には父の弥助《やすけ》と小僧ふたりが居あはせたので、驚いてすぐに彼女《かれ》を介抱した。奥からは母のお由《よし》も女中のおかんも駈出《かけだ》して来て、水をのませて、落着かせて、さて、その仔細《しさい》を問ひ糺《ただ》さうとしたが、おせきは胸の動悸《どうき》がなか/\鎮《しず》まらないらしく、しばらくは胸をかゝヘて店さきに俯伏してゐた。
 おせきは今年十七の娘ざかりで、容貌《きりよう》もよい方である。宵とは云ヘ、月夜とは云ヘ、賑《にぎや》かい往来とは云つても、なにかの馬鹿者《ばかもの》にからかはれたのであらうと親たちは想像したので、弥助は表へ出てみたが、そこらには彼女《かれ》を追つて来たらしい者の影もみえなかつた。
「おまへは一体どうしたんだよ。」と、母のお由は待ちかねて又|訊《き》いた。
「あたし踏まれたの。」と、おせきは声をふるはせながら云つた。
「誰に踏まれたの。」
「宇田川町を通ると、影や道陸神《どうろくじん》の子供達があたしの影を踏んで……。」
「なんだ。」と、弥助は張合ひ抜けがしたやうに笑ひ出した。「それが何《ど》うしたといふのだ。そんなことを騒ぐ奴《やつ》があるものか。影や道陸神なんぞ珍しくもねえ。」
「ほんたうにそんな事を騒ぐにやあ及ばないぢやあないか。あたしは何事が起つたのかと思つてびつくりしたよ。」と、母も安心と共に少しく不平らしく云つた。
「でも、自分の影を踏まれると、悪いことがある……。寿命が縮まると……。」と、おせきは更に涙ぐんだ。
「そんな馬鹿《ばか》なことがあるものかね。」
 お由は一言《いちごん》の下《もと》に云ひ消したが、実をいふと其頃《そのころ》の一部の人達のあひだには、自分の影を踏まれると好くないといふ伝説がないでもなかつた。七|尺《しやく》去つて師の影を踏まずなどと支那《しな》でも云ふ。たとひ影にしても、人の形を踏むといふことは遠慮しろといふ意味から、彼《か》の伝説は生まれたらしいのであるが、後《のち》には踏む人の遠慮よりも踏まれる人の恐れとなつて、影を踏まれると運が悪くなるとか、寿命が縮むとか、甚《はなは》だしきは三年の内に死ぬなどと云ふ者がある。それほどに怖るべきものであるならば、どこの親達も子どもの遊びを堅く禁止しさうなものであるが、それ程にはやかましく云はなかつたのを見ると、その伝説や迷信も一般的ではなかつたらしい。而《しか》もそれを信じて、それを恐れる人達からみれば、それが一般的であると無いとは問題ではなかつた。
「馬鹿をいはずに早く奥へ行け。」
「詰らないことを気におしでないよ。」
 父には叱《しか》られ、母にはなだめられて、おせきはしよんぼり[#「しよんぼり」に傍点]と奥ヘ這入《はい》つたが、胸一杯の不安と恐怖とは決して納まらなかつた。近江屋の二階は六畳と三畳の二間《ふたま》で、おせきはその三畳に寝ることになつてゐたが、今夜は幾たびも強い動悸《どうき》におどろかされて眼《め》をさました。幾つかの小さい黒い影が自分の胸や腹の上に跳《おど》つてゐる夢をみた。
 あくる日は十三夜で、近江屋でも例年の通りに芒《すすき》や栗《くり》を買つて月の前にそなへた。今夜の月も晴れてゐた。
「よいお月見でございます。」と、近所の人たちも云つた。
 併《しか》しおせきはその月を見るのが何だか怖しいやうに思はれてならなかつた。月が怖しいのではない、その月のひかりに映し出《いだ》される自分の影をみるのが怖しいのであつた。世間ではよい月だと云つて、或《あるい》は二階から仰ぎ、あるひは店先から望み、あるひは往来へ出て眺めてゐるなかで、かれ一人は奥に閉籠《とじこも》つてゐた。
 ――影や道陸神、十三夜の牡丹餅《ぼたもち》――
 子ども等《ら》の歌ふ声々が、おせきの弱い魂を執念ぶかく脅《おびや》かした。

     二

 それ以来、おせきは夜あるきをしなかつた。殊《こと》に月の明るい夜には表へ出るのを恐れるやうになつた。どうしても夜あるきをしなければならないやうな場合には、努めて月のない暗い宵を選んで出ることにしてゐた。世間の娘たちとは反対のこの行動が父や母の注意をひいて、お前はまだそんな詰らないことを気にしてゐるのかと、両親からしば/\叱《しか》られた。而《しか》もおせきの魂に深く食《く》ひ入つた一種の恐怖と不安とはいつまでも消え失せなかつた。
 さうしてゐる中《うち》に、不運のおせきは再び自分の影におどろかされるやうな事件に遭遇した。その年の師走《しわす》の十三日、おせきの家《うち》で煤掃《すすはき》をしてゐると、神明前の親類の店から小僧が駈《か》けて来て、おばあさんが急病で倒れたと報《しら》せた。神明前の親類といふのは、おせきの母の姉が縁付いてゐる家《うち》で、近江屋とは同商売であるばかりか、その次男の要次郎をゆく/\はおせきの婿《むこ》にするといふ内相談《ないそうだん》もある。そこの老母が倒れたと聞いては其儘《そのまま》には済されない。誰かゞすぐに見舞に駈《か》け付けなければならないのであるが、生憎《あいにく》にけふは煤掃の最中で父も母も手が離されないので、とりあへずおせきを出して遣《や》ることにした。
 襷《たすき》をはづして、髪をかきあげて、おせきが兎《と》つかはと店を出たのは、昼の八《や》つ(午後二時)を少し過ぎた頃であつた。ゆく先は大野屋といふ店で、こゝも今日は煤掃である。その最中に今年七十五になるおばあさんが突然|打《ぶ》つ倒れたのであるから、その騒ぎは一通りでなかつた。奥には四畳半の離屋《はなれ》があるので、急病人をそこへ運び込んで介抱してゐると、幸ひに病人は正気に戻つた。けふは取分けて寒い日であるのに、達者にまかせて老人が、早朝から若い者どもと一緒になつて立働いたために、こんな異変をひき起したのであるが、左《さ》のみ心配することはない。静《しずか》に寝かして置けば自然に癒《なお》ると、医者は云つた。それで先《ま》づ一《ひと》安心したところヘ、おせきが駈けつけたのである。
「それでもまあ好うござんしたわねえ。」
 おせきも安心したが、折角《せつかく》こゝまで来た以上、すぐに帰つてしまふわけにも行かないので、病人の枕もとで看病の手つだひなどをしてゐるうちに、師走のみじかい日はいつか暮れてしまつて、大野屋の店の煤はきも片附いた。蕎麦《そば》を食《く》はされ、ゆふ飯を食はされて、おせきは五つ少し前に、こゝを出ることになつた。
「阿父《おとつ》さんや阿母《おつか》さんにもよろしく云つてください。病人も御覧の通りで、もう心配することはありませんから。」と、大野屋の伯母《おば》は云つた。
 宵ではあるが、年の暮で世間が物騒だといふので、伯母は次男の要次郎に云ひつけて、おせきを送らせて遣《や》ることにした。お取込みのところをそれには及ばないと、おせきは一応辞退したのであるが、それでも間違ひがあつてはならないと云つて、伯母は無理に要次郎を附けて出した。店を出るときに伯母は笑ひながら声をかけた。
「要次郎。おせきちやんを送つて行くのだから、影や道陸神《どうろくじん》を用心おしよ。」
「この寒いのに、誰も表に出てゐやしませんよ。」と、要次郎も笑ひながら答へた。
 おせきが影を踏まれたのは、やはりこゝの家《うち》から帰る途中の出来事で、彼女《かれ》がそれを気に病んでゐるらしいことは、母のお由から伯母にも話したので、大野屋|一家《いつけ》の者もみな知つてゐるのであつた。要次郎は今年十九の、色白の痩形《やせがた》の男で、おせきとは似合《にあい》の夫婦と云つてよい。その未来の夫婦がむつまじさうに肩をならべて出てゆくのを、伯母は微笑《ほほえ》みながら見送つた。
 一応は辞退したものゝ、要次郎に送られてゆくことはおせきも実は嬉《うれ》しかつた。これも笑ひながら表へ出ると、煤《すす》はきを済せて今夜は早く大戸《おおど》をおろしてゐる店もあつた。家中《うちじゆう》に灯《ひ》をとぼして何かまだ笑ひさゞめいてゐる店もあつた。その家々の屋根の上には、雪が降つたかと思ふやうに月のひかりが白く照り渡つてゐた。その
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