たが、それでもまだ何処からか帰って来るかも知れないと、わたくしは女中の敷いてくれた寝床の上に坐って、肌寒い一夜を眠らずに明かしました。
散歩に出た途中で、偶然に知人に行き逢って、その宿屋へでも連れ込まれて、夜の更けるまで話してでもいるのかと、最初はよもや[#「よもや」に傍点]に引かされていたのですが、そんな事がそら頼みであるのはもう判りました。わたくしは途方に暮れてしまいまして、ともかくも電報で東京へ知らせてやりますと、父もおどろいて駈け付けました。兄の夏夫さんも松島さんも来てくれました。
それにしても、なにか心当りはないか。――これはどの人からも出る質問ですが、わたくしには何とも返事が出来ないのでございます。心当りのないことはありません。それは例のうなぎの一件で、わたくしがそれを迂濶に口走ったために、夫は姿をくらましたのであろうと想像されるのですが、二度とそれを口へ出すのは何分おそろしいような気がしますので、わたくしは決してそれを洩らしませんでした。
東京から来た人たちもいろいろに手を尽くして捜索に努めてくれましたが、夫のゆくえは遂に知れませんでした。もしや夕闇に足を踏みはずし
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