怪談劇
岡本綺堂
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)三月《みつき》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)真景|累《かさね》ヶ|淵《ふち》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き](昭和三十一年二月、青蛙房刊『綺堂劇談』所収「甲字楼夜話」より)
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江戸時代の怪談劇は、大抵六、七、八の三月《みつき》のあいだを択んで上場されたようである。つまり夏狂言とか盆替りとか云う場合に、怪談物を選択したらしい。暑い時節に怪談をみせて、夏なお寒きを覚えしめるという趣向かも知れない。
勿論、怪談の狂言に時代物もあるが、怪談として凄味の多いのは世話物である。その意味から云って、世話物は舞台の装置も人物の扮装もアッサリしていて暑苦しくない。それがまず第一に夏向きである。第二には、暑中の観客はとかくに茹《うだ》り易い。その茹り気分を強く刺戟するには怪談などがお誂え向きである。それらの事情から、自然に怪談が択《えら》まれる事になったのであろうと思われる。
南北は怪談作者のように云われ、私もそう思っていたのであるが、かの大南北全集を通読すると、真の怪談劇と認むべきものは甚だ少ない。例の「四谷怪談」でお岩と小平を見せ、「彩入御伽草《いろえいりおとぎぞうし》」で小平次と皿屋敷を見せ、「成田利剣《なりたのりけん》」で累を見せているくらいで、他は真の怪談劇と云うべき物では無いようである。黙阿弥にも「小幡小平次」以外には、怪談劇らしい物は無い。明治になってから「箱根鹿笛」を書いているが、これはむしろ怪談否定劇である。
明治以後に出来た怪談劇では、円朝の話を脚色した「怪異談牡丹燈籠」が最も知られている。それから、同じ円朝物の「真景|累《かさね》ヶ|淵《ふち》」が近来有名になった。しかし大体に於いて怪談劇に余り面白いものは少ない。その大関とも云うべき「四谷怪談」とても、昔は知らず、今日の観客はむしろ伊右衛門や直助権兵衛の方に多分の興味を感じて、肝腎のお岩さまの方は二の次にされている傾きがある。
小山内薫氏が曾て云われた通り、怪談は所詮「怪談」で、ストーリーの領分に属するものらしい。劇として怪談の凄味を見せようとするのは、昔でもなかなかむずかしく、殊に現代の舞台の上では猶更むずかしそうである。いかに照明などを巧みに利用
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