に言い出した。
「あなたはS旅館の次男という人から何か聴いたことがありますか、あの旅館にからんだ不思議な話を……。」
「聴きません。S旅館の次男――名は芳雄といって、私とは非常に親しくしていましたが、自分の家について不思議な話なぞをかつて聴かせたことはありませんでした。一体それはどういう話です。」
「わたしも科学者の一人でありながら、真面目でこんなことを話すのもいささかお恥かしい次第であるが、とにかくこれは嘘|偽《いつわ》りでない、わたしが眼《ま》のあたりに見た不思議の話です。S旅館も客商売であるから、こんなことが世間に伝わっては定めて迷惑するだろうと思って、これまで誰にも話したことは無かったのですが、あなたがその次男の親友とあれば、お話をしても差支えは無かろうかと思います。今もいう通り、それは不思議の話――まあ、一種の怪談といってもいいでしょう。お聴きになりますか。」
「どうぞ聴かせて下さい。」と、わたしは好奇の眼をかがやかしながら、問い迫るように相手の顔をみつめた。
 話の邪魔をすまいとするのか、表の雨の音はやんだらしい。ただ時どきに軒を落ちる雨だれが、何かをかぞえるように寂しくき
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