こえた。博士は座敷の天井をみあげて少しく考えているらしかったが、下座敷の方で若い女が何か大きい声で笑い出したのを合図のように、居ずまいを直して語り出した。
二
わたしがMの町へ入り込んで、S旅館――仮に曽田屋《そだや》といって置こう。――の客となったのは七年前の八月、残暑のまだ強い頃であった。大抵の地方はそうであるが、ここらも町は新暦、近在は旧暦を用いているので、その頃はちょうど旧盆に相当して、近在は盆踊りで毎晩賑わっていた。わたしはその土地特有の害虫を調査研究するために、町役場や警察署などを訪問して、最初の一週間ほどは毎日忙がしく暮らしていたが、それも先ず一と通りは片付いて、二、三日休養することになった。そのあいだに旅館の人たちとも懇意になって、だんだんに家内の様子をみると、老主人は六十前後、長男の若主人は三十前後、どちらも夫婦揃って健康らしい体格の所有者で、正直で親切な好人物、番頭や店の者や女中たちもみな行儀の好い、客扱いの行届いた者ばかりで、まことに好い宿を取当てたと、わたしも内心満足していたが、唯ひとつ私の眉をひそめさせたのは、ここの家の娘たちの淫《みだ》らな姿であった。
姉はお政といって二十二、妹はお時といって十九、容貌《きりょう》は可もなく、不可もなく、まず普通という程度であるが、髪の結い方、着物の好みが余りに派手やかで、紅|白粉《おしろい》を毒々しいほどに塗り立てた化粧の仕方が、どうしても唯の女とは見えない。勿論、旅館も客商売であるから、その娘たちが相当に作り飾っているのは当然でもあろうが、この姉妹《きょうだい》の派手作りは余りに度を越えている。旧家を誇り、手堅いのを自慢にしている此の旅館の娘たちとはどうしてもうけ取れない。そこらの曖昧《あいまい》茶屋に巣くっている酌婦のたぐいよりも醜《みにく》い。天草《あまくさ》あたりから外国へ出稼ぎする女たちよりも更に醜い。くどくも言う通り、主人も奉公人もみな正直で行儀のいい此の一家内に、どうしてこんなだらしの無い、見るから淫蕩《いんとう》らしい娘たちが住んでいるのかと、わたしは不思議に思った位であった。
残暑の強い時節といい、旧盆に相当しているせいか、ここらの旅館に泊り客は少なく、最初の二、三日は私ひとりであったが、その後に又ひとりの客が来た。それは大阪辺のある保険会社の外交員で、時どきにここ
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