》のたぐいが勢力を占めていました。私は九歳《ここのつ》の時に浅草の仲見世で諏訪法性《すわほっしょう》の兜を買ってもらいましたが、錣《しころ》の毛は白い麻で作られて、私がそれをかぶると背後《うしろ》に垂れた長い毛は地面に引摺《ひきず》る位で、外へ出ると犬が啣《くわ》えるので困りました。兜の鉢はすべて張子でした。概して玩具に、鉄葉《ブリキ》を用いることなく、すべて張子か土か木ですから、玩具の毀《こわ》れ易《やす》いこと不思議でした。槍や刀も木で作られていますから、少し打合うとすぐに折れます。竹で作ったのは下等品《かとうひん》としてあまり好まれませんでした。小さい者の玩具としては、犬張子、木兎《みみずく》、達摩《だるま》、鳩のたぐい、一々数え切れません、いずれも張子でした。
方々の縁日には玩具店《おもちゃや》が沢山出ていました。廉《やす》いのは択取《よりど》り百文、高いのは二銭八厘。なぜこの八厘という端銭《よせん》を附けるのか知りませんが、二銭五厘や三銭というのは決してありませんでした。天保銭《てんぽうせん》がまだ通用していた故《ゆえ》かも知れません。うす暗いカンテラの灯の前に立って、その
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