我楽多玩具
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)玩具《おもちゃ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一山|百文《ひゃくもん》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ずらり[#「ずらり」に傍点]
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 私は玩具《おもちゃ》が好《すき》です、幾歳《いくつ》になっても稚気《ちき》を脱しない故《せい》かも知れませんが、今でも玩具屋の前を真直《まっすぐ》には通り切れません、ともかくも立停って一目《ひとめ》ずらり[#「ずらり」に傍点]と見渡さなければ気が済まない位です。しかしかの清水晴風さんなどのように、秩序的にそれを研究しようなどと思ったことは一度もありません。ただぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]と眺めていればいいんです。玩具に向う時はいつもの小児《こども》の心です。むずかしい理窟なぞを考えたくありません。随って歴史的の古い玩具や、色々の新案を加えた贅《ぜい》な玩具などは、私としてはさのみ懐しいものではありません。何処《どこ》の店の隅にも転がっているような一山|百文《ひゃくもん》式の我楽多玩具、それが私には甚《ひど》く嬉しいんです。
 私の少年時代の玩具といえば、春は紙鳶《たこ》、これにも菅糸《すがいと》で揚《あ》げる奴凧《やっこたこ》がありましたが、今は廃《すた》れました。それから獅子、それから黄螺《ばい》。夏は水鉄砲と水出し、取分けて蛙の水出しなどは甚《ひど》く行われたものでした。秋は独楽《こま》、鉄銅《かねどう》の独楽にはなかなか高価《たか》いのがあって、その頃でも十五銭二十銭ぐらいのは珍らしくありませんでした。冬は鳶口《とびぐち》や纏《まとい》、これはやはり火事から縁を引いたものでしょう。四季を通じて行われたものは仮面《めん》です。今でもないことはありませんが、何処の玩具屋にも色々の面を売っていました。仮面《めん》には張子と土と木彫の三種あって、張子は一銭、土製は二銭八厘、木彫は五銭と決っていましたが、木彫はなかなか精巧に出来ていて、槃若《はんにゃ》の仮面《めん》などは凄い位でした。私たちは狐や外道《げどう》の仮面《めん》をかぶって往来をうろうろ[#「うろうろ」に傍点]していたものです。そのほかには武器に関する玩具が多く、弓、長刀《なぎなた》、刀、鉄砲、兜、軍配《ぐんばい》団扇《うちわ
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