》のたぐいが勢力を占めていました。私は九歳《ここのつ》の時に浅草の仲見世で諏訪法性《すわほっしょう》の兜を買ってもらいましたが、錣《しころ》の毛は白い麻で作られて、私がそれをかぶると背後《うしろ》に垂れた長い毛は地面に引摺《ひきず》る位で、外へ出ると犬が啣《くわ》えるので困りました。兜の鉢はすべて張子でした。概して玩具に、鉄葉《ブリキ》を用いることなく、すべて張子か土か木ですから、玩具の毀《こわ》れ易《やす》いこと不思議でした。槍や刀も木で作られていますから、少し打合うとすぐに折れます。竹で作ったのは下等品《かとうひん》としてあまり好まれませんでした。小さい者の玩具としては、犬張子、木兎《みみずく》、達摩《だるま》、鳩のたぐい、一々数え切れません、いずれも張子でした。
 方々の縁日には玩具店《おもちゃや》が沢山出ていました。廉《やす》いのは択取《よりど》り百文、高いのは二銭八厘。なぜこの八厘という端銭《よせん》を附けるのか知りませんが、二銭五厘や三銭というのは決してありませんでした。天保銭《てんぽうせん》がまだ通用していた故《ゆえ》かも知れません。うす暗いカンテラの灯の前に立って、その縁日玩具をうろうろ[#「うろうろ」に傍点]と猟《あさ》っていた少年時代を思い出すと、涙ぐましいほどに懐しく思われます。
 私の玩具道楽、しかも我楽多玩具に趣味を有《も》っているのは、少年時代の昔を懐しむ心、それがどうも根本になっているようです。私が玩具屋の前に立った時、先《ま》ず眼につくのは旧式の我楽多玩具で、何だか昔の友に出逢ったような心持になります。実用新案の螺旋仕掛《ねじじかけ》などには何の懐しみを有つことが出来ません。随って小児にまでも頭脳《あたま》が古いと侮《あなど》られますが、どうもこれは趣味の問題ですから已《や》むを得ません。旧式の張子の仮面《めん》などを手に把《と》ってじっ[#「じっ」に傍点]と眺めていると、ひどく若々しい心持になる時と、何とはなしに悲しくなる時と、その折々に因《よ》って気分の相違はありますけれども、いずれにしても、その玩具を通して少年時代の夢を忍ぶことは、私に取っては嬉しいことです、堪《たま》らないほどに懐しいことです。大人でないと笑われても、私はこの年になるまで、我楽多玩具と別れを告げることは出来ません。この頃は少しばかり人形を貰い集めていますけれど
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