たずねた。そうして、むろん司令部からも手伝いの者が来るであろうが、出発前に何かの用事があれば遠慮なく言い付けてくれと言い置いて帰った。その翌日、支店長の命令で、佐山君とほかに一人の店員が大尉の家へ顔を出すと、家じゅうは殆んどもう綺麗に片付いていた。大尉は細君《さいくん》と女中との三人暮らしで、別に大した荷物もないらしかった。
「やあ、わざわざ御苦労。なに、こんな小さな家だから、なんにも片付けるほどの家財もない。」
 大尉は笑いながら二人を茶の間に通した。全体が五間《いつま》ばかりで、家じゅうが殆んど見通しという狭い家の座敷には、それでも菰《こも》包みの荷物や、大きいカバンや、軍用|行李《こうり》などがいっぱいに置き列《なら》べてあった。
「皆さんにも折角お馴染みになりましたのに、急にこんなことになりまして……。」と、細君は自分で茶や菓子などを運んで来た。
 細君の暗い顔が佐山君の注意をひいた。もう一つ、彼の眼についたのは、茶の間の仏壇に新しい白木の位牌の見えたことであった。仏壇の戸は開かれて線香の匂いが微かに流れていた。
 どこへ転任するのか、あるいは戦地へ出征するのか、それに就いては
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