三度の膳を運んで来る旅館の女中たちも、毎日この同じ挨拶を繰返している。私も無論その一人である。東京から一つの仕事を抱えて来て、ここで毎日原稿紙にペンを走らしている私は、他《ほか》の湯治客ほどに雨の日のつれづれに苦《くるし》まないのであるが、それでも人の口真似《くちまね》をして「どうも困ります」などといっていた。実際、湯治とか保養とかいう人たちは別問題として、上州のここらは今が一年中で最も忙がしい養蚕《ようさん》季節で、なるべく湿《ぬ》れた桑の葉をお蚕様《こさま》に食わせたくないと念じている。それを考えると「どうも困ります」も決して通り一遍の挨拶ではない。ここらの村や町の人たちに取っては重大の意味を有《も》っていることになる。土地の人たちに出逢った場合には、私も真面目《まじめ》に「どうも困ります」ということにした。
 どう考えても、今日も晴れそうもない。傘をさして散歩に出ると、到る処《ところ》の桑畑は青い波のように雨に烟っている。妙義《みょうぎ》の山も西に見えない、赤城《あかぎ》榛名《はるな》も東北に陰《くも》っている。蓑笠《みのかさ》の人が桑を荷《にな》って忙がしそうに通る、馬が桑を重
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