そうに積んでゆく。その桑は莚《むしろ》につつんであるが、柔かそうな青い葉は茹《ゆで》られたようにぐったり[#「ぐったり」に傍点]と湿《ぬ》れている。私はいよいよ痛切に「どうも困ります」を感じずにはいられなくなった。そうして、鉛のような雨雲を無限に送り出して来るいわゆる「上毛《じょうもう》の三名山」なるものを呪《のろ》わしく思うようになった。
磯部には桜が多い。磯部桜といえば上州の一つの名所になっていて、春は長野や高崎前橋から、見物に来る人が多いと、土地の人は誇っている。なるほど停車場《ていしゃじょう》に着くと直《すぐ》に桜の多いのが誰《たれ》の眼にも入る。路傍《みちばた》にも人家の庭にも、公園にも丘にも、桜の古木が枝をかわして繁っている。磯部の若葉は総て桜若葉であるといってもいい。雪で作ったような白い翅《つばさ》の鳩の群が沢山に飛んで来ると湯の町を一ぱいに掩《おお》っている若葉の光が生きたように青く輝いて来る。護謨《ごむ》ほうずきを吹くような蛙《かわず》の声が四方に起ると、若葉の色が愁うるように青黒く陰《くも》って来る。
晴の使《つかい》として鳩の群が桜の若葉をくぐって飛んで来る日には、例の「どうも困ります」が暫《しば》らく取払われるのである。その使も今日は見えない。宿の二階から見あげると、妙義道《みょうぎみち》につづく南の高い崖路《がけみち》は薄黒い若葉に埋《うず》められている。
旅館の庭には桜のほかに青梧《あおぎり》と槐《えんじゅ》とを多く栽えてある。痩《や》せた梧《きり》の青い葉はまだ大きい手を拡《ひろ》げないが、古い槐の新しい葉は枝もたわわに伸びて、軽い風にも驚いたように顫《ふる》えている。その他には梅と楓《かえで》と躑躅《つつじ》と、これらが寄集《よりあつま》って夏の色を緑に染めているが、これは幾分の人工を加えたもので、門を一歩出ると自然はこの町の初夏を桜若葉で彩《いろど》ろうとしていることが直《すぐ》に首肯《うなず》かれる。
雨が小歇《おやみ》になると、町の子供や旅館の男が箒《ほうき》と松明《たいまつ》とを持って桜の毛虫を燔《や》いている。この桜若葉を背景にして、自転車が通る。桑を積んだ馬が行く。方々の旅館で畳替《たたみが》えを始める。逗留客が散歩に出る。芸妓《げいしゃ》が湯にゆく。白い鳩が餌《え》をあさる。黒い燕が往来《おうらい》中《なか》で
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