津波のような高波が打寄せて来て、品川や深川の沖にかかっていた大船小舟はことごとく浜辺に打揚げられた。本所、深川には出水して、押流された家もあった。溺死した者もあった。去年の地震といい、ことしの風雨《あらし》といい、江戸の人々もずいぶん残酷に祟《たた》られたといってよい。
その暴風雨の最も猛烈をきわめている二十五日の夜の四つ(午後十時)過ぎである。下谷御徒町《したやおかちまち》に住んでいる諸住《もろずみ》伊四郎という御徒士《おかち》組の侍が、よんどころない用向きの帰り路に日本橋の浜町河岸を通った。
彼はこの暴風雨を冒《おか》して、しかも夜ふけになぜこんなところを歩いていたかというと、新大橋の袂にある松平相模守の下屋敷に自分の叔母が多年つとめていて、それが急病にかかったという通知をきょうの夕刻に受取ったので、伊四郎は取りあえずその見舞に駈け付けたのである。叔母はなにかの食あたりであったらしく、一時はひどく吐瀉《としゃ》して苦しんだ。なにぶん老年のことでもあるので、屋敷の者も心配して、早速に甥の伊四郎のところへ知らせてやったのであったが、思いのほかに早く癒って、伊四郎が駈け付けた頃にはも
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