うした古い寺には有名の壁画なども沢山保存されていたのであろうが、今はどうなったか判るまい。一羽の白い鳩がその旧蹟を守るように寺の門前に寂しくうずくまっているのを、みんなが珍しそうに指さしていた。町を通りぬけて郊外らしいところへ出ると、路の両側は仏蘭西特有のブルヴァーになって、大きい栗の木の並木がどこまでも続いている。栗の花はもう散り尽して、その青い葉が白い土のうえに黒い影を落している。木の下には雛芥子の紅い小さい花がしおらしく咲いている。ここらへ来ると、時々は人通りがあって、青白い夏服をきた十四五の少女が並木の下を俯向きながら歩いてゆく。かの女は自動車の音におどろいたように顔をあげると、車上の人達は帽子を振る。少女は嬉しそうに微笑みながら、これも頻りにハンカチーフを振る。砂煙が舞い上って、少女の姿がおぼろになった頃に、自動車も広い野原のようなところに出た。
戦争前には畑になっていたらしいが、今では茫々たる野原である。原には大きい塹壕のあとが幾重にも残っていて、ところどころには鉄条網も絡み合ったままで光っている。立木は殆どみえない。眼のとどく限りは雛芥子の花に占領されて、血を流したよう
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