くなければ、早くくたばってしまえ。」と、花笠をかぶった一人が罵った。
それが讖《しん》をなしたわけでもあるまいが、阿母さんはその年の秋からどっと寝付いた。その頃には庭の大きい柿の実もだんだん紅《あか》らんで、近所のいたずら小僧が塀越しに竹竿を突っ込むこともあったが、阿母さんは例の「誰だい」を呶鳴る元気もなかった。そうして、十一月の初めにはもう白木の棺にはいってしまった。さすがに見ぬ顔もできないので、葬式には近所の人が五、六人見送った。おなじ仲間の職人も十人ばかり来た。寺は四谷の小さい寺であったが、葬儀の案外立派であったのには、みんなもおどろかされた。当日の会葬者一同には白強飯《しろおこわ》と煮染《にしめ》の辨当が出た。三十五日には見事な米饅頭と麦饅頭との蒸し物に茶を添えて近所に配った。
万事が案外によく行きとどいているので、近所の人たちも少し気の毒になったのと、もう一つは口やかましい阿母さんがいなくなったというのが動機になって、以前よりは打ち解けて付き合おうとする人も出来たが、なぜかそれも長くはつづかなかった。三月半年と経つうちに、近所の人はだんだんに遠退いてしまって、お玉さんの兄
前へ
次へ
全29ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング