供仲間からは左官屋の鬼婆と綽名《あだな》されていた。
お玉さんの家《うち》の格子のまえには古風の天水桶があった。わたし達がもしその天水桶のまわりに集まって、夏はぼうふらを探し、冬は氷をいじったりすると、阿母さんは忽ちに格子をあけて、「誰だいいたずらをするのは……」と、かみ付くように呶鳴り付けた。雨のふる日に露地をぬける人の傘が、お玉さんの家の羽目か塀にがさりとでもさわる音がすると、阿母さんはすぐに例の「誰だい」を浴びせかけた。わたしも学校のゆきかえりに度々この阿母さんから「誰だい」と叱られた。
徳さんは若い職人に似合わず、無口で陰気な男であった。見かけは小粋な若い衆であったが、町内の祭りなどにもいっさい係り合ったことはなかった。その癖、内で一杯飲むと、阿母さんやお玉さんの三味線で清元や葉唄を歌ったりしていた。お玉さんが家じゅうで一番陽気な質《たち》らしく、近所の人をみればいつもにこにこ笑って挨拶していた。しかし、阿母さんや兄さんがこういう風変わりであるので、娘盛りのお玉さんにも親しい友達はなかったらしく、麹町通りの夜店をひやかしにゆくにも、平河天神の縁日に参詣するにも、お玉さんはい
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