》くような女の声がひびいた。格子の外には通りがかりの人や近所の子供がのぞいていた。
「なんでえ、畜生! ざまあ見やがれ。うぬらのような百姓に判るもんか。」
 それはお玉さんの声らしいので、私はびっくりした。なにか兄妹喧嘩でも始めたのかとも思った。店さきに涼んでいる八百屋のおかみさんに訊くと、おかみさんは珍らしくもないという顔をして笑っていた。
「ええ、気ちがいが又あばれ出したんですよ。急に暑くなったんで逆上《のぼ》せたんでしょう。」
「お玉さんですか。」
「もう五、六年まえからおかしいんですよ。」
 わたしは思わず戦慄した。わたしにはそれが初耳であった。お玉さんはわたしが下町へ行っているあいだに、いつか気ちがいになっていたのであった。わたしが八百屋のおかみさんと話しているうちにも、お玉さんは何かしきりに呶鳴っていた。息もつかずに「べらぼう、畜生」などと罵っていた。徳さんの声はちっとも聞こえなかった。
 家《うち》へ帰ってその話をすると、家の者もみんな知っていた。お玉さんの気ちがいということは町内に隠れもない事実であったが、その原因は誰にも判らなかった。しかし別に乱暴を働くというのでもな
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