しをお助け下さると思召《おぼしめ》して、どうぞ今夜だけは……。」と、叔父は繰返して言った。
 深い谷底――その一句をきいたときに、僧の顔色は又曇った。彼はうつむいて少し思案しているようであったが、やがてしずかに言い出した。
「それほどに言われるものを無慈悲にお断わり申すわけには参りますまい。勿論、夜の物も満足に整うてはおりませぬが、それさえ御承知ならばお泊め申しましょう。」
「ありがとうございます。」と、叔父はほっ[#「ほっ」に傍点]として頭を下げた。
「それからもう一つ御承知をねがっておきたいのは、たとい夜なかに何事があっても、かならずお気にかけられぬように……。しかし熊や狼のたぐいはめったに人家へ襲って来るようなことはありませぬから、それは決して御心配なく……。」
 叔父は承知して泊ることになった。寝るときに僧は雨戸をあけて表をうかがった。今夜は真っ暗で星ひとつ見えないと言った。こうした山奥にはありがちの風の音さえもきこえない夜で、ただ折りおりにきこえるのは、谷底に遠くむせぶ水の音と、名も知れない夜の鳥の怪しく啼き叫ぶ声が木霊《こだま》してひびくのみであった。更けるにつれて、霜をお
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