の成行きは源兵衛も朝晩にながめていた。女房や娘は毎日のぞきに行った。そうして、死骸のだんだん消えてゆくのを安心したように眺めていたが、最後の髑髏《どくろ》のみはどうしても消え失せそうもないのを見て、またなんだか忌な心持になった。何とかしてそれを打落そうとして、源兵衛は幾たびか石を投げたり枝を投げたりしたが、不思議に一度も当らないので、とうとう根《こん》負けがしてやめてしまった。婿の家からいよいよ正式に破談の通知があった夜に、その髑髏はさながら嘲り笑うようにからから[#「からから」に傍点]と鳴った。
 今までは不安ながらも一縷《いちる》の望みをつないでいたのであるが、その縁談がいよいよ破裂と定まって源兵衛夫婦の失望はいうまでもなかった。お杉は一日泣いていた。その夜、髑髏が笑い出すと共に、お杉も家をぬけ出した。そのうしろ姿を見つけて母が追って出る間もなく、若い娘は深い谷底へ飛び込んでしまって、その亡骸《なきがら》を引揚げるすべさえもないのであった。
 その以来、木の枝にかかっている髑髏は夜ごとにからから[#「からから」に傍点]と笑うのである。笑うのではない、乾いた髑髏が山風に煽《あお》られて木の枝を打つのであると源兵衛は説明したが、女房は承知しなかった。髑髏が我れわれの不幸を嘲り笑うのであると、かれは一途《いちず》に信じていた。黒ん坊の髑髏が何かの祟りでもするかのように、土地の人たちも言い囃《はや》した。
 実際、髑髏はその秋から冬にかけて、さらに来年の春かち夏にかけて、夜ごとに怪しい笑い声をつづけていた。それに悩まされて、お兼はおちおち眠られなかった。不眠と不安とが長くつづいて、かれは半気違いのようになってしまったので、源兵衛も内々注意していると、七月の盂蘭盆前、あたかもお杉が一周忌の当日に、かれは激しく狂い出した。
「黒ん坊。娘のかたきを取ってやるから、覚えていろ。」
 お兼は大きい斧を持って表へ飛び出した。それはさきに源兵衛が黒ん坊を虐殺した斧であった。
「まあ、待て。どこへ行く。」
 源兵衛はおどろいて引留めようとすると、お兼は鬼女のように哮《たけ》って、自分の夫に打ってかかった。
「この黒ん坊め。」
 大きい斧を真っこうに振りかざして来たので、源兵衛もうろたえて逃げまわった。
 その隙をみて、かれは斧をかかえたままで、身を逆さまに谷底へ跳り込んだ。半狂乱の母は哀れなる娘のあとを追ったのである。
 こうして、この一つ家には父ひとりが取残された。
 しかし源兵衛は生れ付き剛気の男であった。打ちつづく不幸は彼に対する大打撃であったには相違ないが、それでも表面は変ることもなしに、今まで通りの仕事をつづけていた。この山奥に住む黒ん坊はただ一匹に限られたわけでもないのであるが、その一匹が源兵衛の斧に屠《ほふ》られて以来、すべてその影を見せなくなって、かれらの形見は木の枝にかかる髑髏一つとなった。その髑髏は源兵衛一家のほろび行く運命を嘲るように、夜毎にからから[#「からから」に傍点]という音を立てていた。
「ええ、泣くとも笑うとも勝手にしろ。」と、源兵衛はもう相手にもならなかった。
 その翌年の盂蘭盆前である。きょうは娘の三回忌、女房の一周忌に相当するので、源兵衛は下大須にあるただ一軒の寺へ墓参にゆくと、その帰り道で彼は三人の杣仲間と一人の村人に出会った。
「おお、いいところで逢った。おれの家までみんな来てくれ。」
 源兵衛は四人を連れて帰って、かねて用意してあったらしい太い藤蔓《ふじづる》を取出した。
「おれはこの蔓を腰に巻き付けるから、お前たちは上から吊りおろしてくれ。」
「どこへ降りるのだ。」
「谷へ降りて、あの骸骨めを叩き落してしまうのだ。」
「あぶないから止せよ。木の枝が折れたら大変だぞ。」
「なに、大丈夫だ。女房の仇、娘のかたきだ。あの骸骨をあのままにして置く事はならねえ。」
 何分にも屏風のように切っ立ての崖であるから、目の下にみえながら降りることが出来ない。源兵衛は自分のからだを藤蔓でくくり付けて、二丈ほどの下にある大木の幹に吊りおろされ、それから枝を伝って行って、かの髑髏を叩き落そうというのである。こうした危険な離れわざには、みな相当に馴れているのではあるが、底の知れない谷の上であるだけに、どの人もみな危ぶまずにはいられなかった。
 源兵衛も今まではさすがに躊躇していたのであるが、きょうはなんと思ったか、遮二無二《しゃにむに》その冒険を実行しようと主張して、とうとう自分のからだに藤蔓を巻いた。四人は太い蔓の端から端まで吟味して、間違いのないことを確かめた上で、岸から彼を吊り降ろすことになった。
 薄く曇った日の午《ひる》過ぎで、そこらの草の葉を吹き分ける風はもう初秋の涼しさを送っていた。髑髏も昼は黙っているのである。
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