その髑髏のかかっている大木の上へ吊りおろされた源兵衛のからだは、もう四、五尺で幹に届くかと思うとき、太い蔓はたちまちにぶつりと切れて、木の上にどさりと落ちかかった。上の人々はあっ[#「あっ」に傍点]と叫んで見おろすと、彼は落ちると同時に一つの枝に取付いたのである。しかもそれが比較的に細い枝であったので、彼が取付く途端に強くたわんで、そのからだは宙にぶら下がってしまった。
「源兵衛、しっかりしろ。その手を放すな。」と、四人は口々に叫んだ。
 しかし、どうして彼を救いあげようという手だてもなかった。この場合、畚《ふご》をおろすよりほかに方法はなさそうであったが、その畚も近所には見当らないので、四人はいたずらに上から声をかけて彼に力を添えるにすぎなかった。
 源兵衛は両手を枝にかけたままで、奴凧《やっこだこ》のように宙にゆらめいているのである。その隣りの枝にはかの髑髏がかかっているので、源兵衛の枝がゆれるに誘われて、その枝もおのずと揺れると、黄いろい髑髏はからから[#「からから」に傍点]と笑った。
 細い枝は源兵衛の体量をささえかねて、次第に折れそうにたわんでゆくので、上で見ている人々は手に汗を握った。源兵衛の額にも脂汗が流れた。彼は目をとじ歯を食いしばって、一生懸命にぶら下がっているばかりで、何とも声を出すことも出来なかった。こうなっては、枝が折れるか、彼の力が尽きるか、自然の運命に任せるのほかはない。上からは無益《むやく》に藤蔓を投げてみたが、彼はそれに取りすがることも出来ないのであった。
 そのうちに枝は中途から折れた。残った枝の強くはねかえる勢いで、となりの枝も強く揺れて、髑髏はからからからから[#「からからからから」に傍点]と続けて高く笑った。源兵衛のすがたは谷底の靄にかくれて見えなくなった。上の四人は息を呑んで突っ立っていた。

 源兵衛の一家はこうして全く亡び尽くした。娘の死んだとき、女房の死んだとき、源兵衛はそれを鎌倉へ通知してやらなかったらしいが、こうして一家が全滅してしまった以上、無沙汰にして置くのはよろしくあるまいというので、村の人々から初めて鎌倉へ知らせてやると、せがれの源蔵は早々に戻って来た。
 源蔵も今は源光《げんこう》といって、立派な僧侶となっているのであった。棄恩入無為《きおんじゅむい》といいながら、源光はおのが身の修業にのみ魂を打込んで、一度も故郷へ帰らなかったことを深く悔んだ。
「あの髑髏がおのずと朽ちて落ちるまでは、決してここを離れませぬ。」と、彼は誓った。
 両親や妹の菩提《ぼだい》を弔うだけならば、必ずしもここに留まるにも及ばないが、悲しむべく怖るべきはかの髑髏である。
 如是畜生発菩提心《にょぜちくしょうほつぼだいしん》の善果をみるまでは、自分はここを去るまいと決心して、彼はこの空家に蹈みとどまることにした。そうして、丸三年の今日まで読経《どきょう》に余念もないのであるが、髑髏はまだ朽ちない、髑髏はまだ落ちない、髑髏はまだ笑っているのである。
 彼が三年、五年、十年、あるいは一生ここにとどまるかも知れないと覚悟しているのも、それがためであろう。
 この長物語を終って、老人はまた嘆息した。
「あまりお気の毒だから、いっそ畚をおろして何とか骸骨を取りのけてしまおうと言い出した者もあるのだが、息子の坊さまは承知しないで、まあ自分にまかせて置いてくれというので、そのままにしてあるのだ。」
 叔父も溜息をついて別れた。

 その晩は上大須の村に泊ると、夜中から山も震うような大あらしになった。
 この風雨がかの枝を吹き折るか、かの髑髏を吹き落すか。かの僧は風雨にむかって読経をつづけているか。――叔父は寝もやらずに考え明かしたそうである。



底本:「鷲」光文社文庫、光文社
   1990(平成2)年8月20日初版1刷発行
初出:「文藝倶楽部」
   1925(大正14)年7月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年10月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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