なれば、それが単調となり、惹《ひ》いて平凡浅薄となるのも自然の結果である。我がかたき討に深刻味を欠くのはそれがためであろう。かたき討といえば、どこかで相手をさがし出して、なんでも構わずに叩っ斬ってしまえばいい。ただそれだけのことが眼目では、今日の人間の興味を惹きそうもないように思われるので、わたしは今まで仇討の芝居というものを書いたことがなかった。
この頃、この『歌舞伎』の誌上で拝見すると、木村錦花氏は大いにこのかたき討について研究していられるらしい。どうか在来の単調を破るような新しい題材を発見されることを望むのである。
◇
わが国のかたき討なるものは、いつの代《よ》から始まったか判らないらしい。普通は曾我兄弟の仇討を以て記録にあらわれたる始めとしているようであるが、もしかの曾我兄弟を以てかたき討の元祖とするならば、寧《むし》ろ工藤祐経《くどうすけつね》を以てその元祖としなければなるまい。工藤は親のかたきを討つつもりで、伊東祐親《いとうすけちか》の父子《おやこ》を射させたのである。祐親を射損じて、せがれの祐安《すけやす》だけを射殺したというのが、そもそも曾我兄弟仇討の
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