かたき討雑感
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)かたき討《うち》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)遺臣|大河次郎重任《おおかわじろうしげとう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ぱっ[#「ぱっ」に傍点]
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 わが国古来のいわゆる「かたき討《うち》」とか、「仇討《あだうち》」とかいうものは、勿論それが復讎《ふくしゅう》を意味するのではあるが、単に復讎の目的を達しただけでは、かたき討とも仇討とも認められない。その手段として我が手ずから相手を殺さなければならない。他人の手をかりて相手をほろぼし、あるいは他の手段を以て相手を破滅させたのでは、完全なるかたき討や仇討とはいわれない。真向正面から相手を屠《ほふ》らずして、他の手段方法によって相手をほろぼすものは寧《むし》ろ卑怯として卑《いやし》められるのである。
 これは我が国風《こくふう》でもあり、第一には武士道の感化でもあろうが、それだけに我がかたき討なるものが甚だ単調になるのは已《や》むを得ない。なにしろ復讎の手段がただ一つしかないとなれば、それが単調となり、惹《ひ》いて平凡浅薄となるのも自然の結果である。我がかたき討に深刻味を欠くのはそれがためであろう。かたき討といえば、どこかで相手をさがし出して、なんでも構わずに叩っ斬ってしまえばいい。ただそれだけのことが眼目では、今日の人間の興味を惹きそうもないように思われるので、わたしは今まで仇討の芝居というものを書いたことがなかった。
 この頃、この『歌舞伎』の誌上で拝見すると、木村錦花氏は大いにこのかたき討について研究していられるらしい。どうか在来の単調を破るような新しい題材を発見されることを望むのである。

     ◇

 わが国のかたき討なるものは、いつの代《よ》から始まったか判らないらしい。普通は曾我兄弟の仇討を以て記録にあらわれたる始めとしているようであるが、もしかの曾我兄弟を以てかたき討の元祖とするならば、寧《むし》ろ工藤祐経《くどうすけつね》を以てその元祖としなければなるまい。工藤は親のかたきを討つつもりで、伊東祐親《いとうすけちか》の父子《おやこ》を射させたのである。祐親を射損じて、せがれの祐安《すけやす》だけを射殺したというのが、そもそも曾我兄弟仇討の
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