にやっぱりその病気で死んでいました。
ところがそんなことには一向構わず林にはやはり毎日毎日子供らが集まりました。
お話はずんずん急ぎます。
次の年その村に鉄道が通り虔十の家から三町ばかり東の方に停車場ができました。あちこちに大きな瀬戸物《せともの》の工場や製糸場ができました。そこらの畑や田はずんずん潰《つぶ》れて家がたちました。いつかすっかり町になってしまったのです。その中に虔十の林だけはどう云うわけかそのまま残って居りました。その杉もやっと一丈ぐらい、子供らは毎日毎日集まりました。学校がすぐ近くに建っていましたから子供らはその林と林の南の芝原とをいよいよ自分らの運動場の続きと思ってしまいました。
虔十のお父さんももうかみがまっ白でした。まっ白な筈《はず》です。虔十が死んでから二十年近くなるではありませんか。
ある日|昔《むかし》のその村から出て今アメリカのある大学の教授になっている若い博士が十五年ぶりで故郷へ帰って来ました。
どこに昔の畑や森のおもかげがあったでしょう。町の人たちも大ていは新らしく外から来た人たちでした。
それでもある日博士は小学校から頼まれてその講堂でみんなに向うの国の話をしました。
お話がすんでから博士は校長さんたちと運動場に出てそれからあの虔十の林の方へ行きました。
すると若い博士は愕《おど》ろいて何べんも眼鏡《めがね》を直していましたがとうとう半分ひとりごとのように云いました。
「ああ、ここはすっかりもとの通りだ。木まですっかりもとの通りだ。木は却《かえ》って小さくなったようだ。みんなも遊んでいる。ああ、あの中に私や私の昔の友達が居ないだろうか。」
博士は俄《にわ》かに気がついたように笑い顔になって校長さんに云いました。
「ここは今は学校の運動場ですか。」
「いいえ。ここはこの向うの家の地面なのですが家の人たちが一向かまわないで子供らの集まるままにして置くものですから、まるで学校の附属《ふぞく》の運動場のようになってしまいましたが実はそうではありません。」
「それは不思議な方ですね、一体どう云うわけでしょう。」
「ここが町になってからみんなで売れ売れと申したそうですが年よりの方がここは虔十のただ一つのかたみだからいくら困っても、これをなくすることはどうしてもできないと答えるそうです。」
「ああそうそう、ありました、ありま
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